「おもひおひしりおおし(思ひ生ひ知り多し)」。「しり(知り)」は、知識を得る、という意味ではなく、影響にあることを表現する原意。「領(し)り」と書いてもいい。「おもひおひしりおおし(思ひ生ひ知り多し)→おもしろし」とは、自分も自覚していなかった思いが自分に生ひ(育ち)浸透的影響の規模が増大・増強する、ということなのですが、ようするに、自分の思いがそこにあり、それゆえ心惹かれ、影響が大きくなっていく、ということ。「おもしろをかしい」という表現もありますが、意味は「をかし」(形シク)に似ています。この「おもしろし」という語自体は笑いを生じさせること(滑稽であること)は意味しておらず、古くはそのような用い方はなされませんが、そこでは「しり」は未知に関し起こっており、その未知は日常生活体験にないことであり、自己の体験として容認することの不安から解放され容認されないことが笑いとなって現れ、笑いを生じさせるようなもの・ことであること(滑稽なもの・ことであること)が「おもしろい」と言われるようにもなります。
「山越えて海渡るともおもしろき(於母之樓枳)今城(いまき)の中(うち)は忘らゆましじ(けして忘れられない)」(『日本書紀』歌謡119:これは、老いた斉明天皇(女性)が幼くして亡くなった皇孫(みまご)・建王(たけるのみこ)と過ごした幸福だった日々を想っている歌)。
「小楯(をだて)謂(かた)りて曰(い)はく。『可怜(おもしろ)し。願(ねが)はくは復(また)聞(き)かむ』といふ」(『日本書紀』)。
「おもしろき野をばな焼きそ古草(ふるくさ)に新草(にひくさ)まじり生ひは生ふるがに」(万3452:古代東国の歌。「がに」はその項)。
「ムム笑話(シャウワ)か。笑話は漢(から)がおもしろい」(『浮世床』江戸時代後期:これは、笑いを誘発する、という意味で言われている)。