◎「おも(主)」

「おふもおふ(逐ふも覆ふ)」。追放しても(無用として排除しても)存在するもの・こと。つまり、決定的に重要なもの・こと。

「先此方のおもと致す御國の学問にも…………又伊勢物語や源氏物語をおもと学ぶ者があり…」(『古道大意』)。

「人の願ひさまざまなれど。まづ第一ばんに衣食住のねがひがおもじや」(『松翁道話』)。

 

◎「おも(面)」

「おふみゆうるよ(負ふ見ゆ得る世)」。「ふ」は退行化し、「みゆうるよ」が「も」になっている。「る」のR音は初めから退行化しているでしょうから、「みゆよ」が「も」になっていると言ってもいい。「ゆ」は経験経過を表現する助詞(その項:動態の起点、手段・方法などを表すそれ→「徒歩(かち)ゆ詣でけり(徒歩で詣でた)」)。Aの「負(お)ふ見(み)」により得る「よ(世)」、とは、Aの負っている、見ることによる世(よ)、ということであり、Aの社会一般的外観、世(よ)一般の印象、です。Aが人である場合、その印象において決定的な働きを果たすのは顔であり、人の「おも」は顔を意味することになる。また、一般的には「おも」は外観印象であり、表面を意味する。

「去年(こぞ)の秋あひ見しまにま今日見ればおもやめづらし都方人(みやこかたひと)」(万4117)。

「水のおもにおふる五月(さつき)の浮草の…」(『古今集』)。

「おもかげ(面影)」「おももち(面持)」。

この語に方向感を表す「て(原意は、手)」がつけば「おもて(面・表)」になる。

 

◎「おも(母)」

「おふもおふ(生ふも負ふ)」。この「も」は助詞であり累加を表現するそれ。「おふもおふ(生ふも負ふ)→おも」は、(生むだけではなく)育てることも負うこと・人。つまり、乳を飲ませてくれる人。「はは(母)」をその苦労と重要性において表現したもの。

「韓衣(からころむ:これは「すそ(裾)」を引き出す枕詞)裾(すそ)に取りつき泣く子らを置きてそ来(き)ぬやおもなしにして」(万4401:これは東国の防人(さきもり)の歌であり、多少方言的変化がある)。

「緑児(みどりご)の為(ため)こそ乳母(ちおも)は求(と)むと云へ乳(ち)飲めや君がおも求むらむ」(万2925:後半部分は、あなたがお母さんを欲しがるのはあなたがまだお乳を飲んでるからなの?のような言い方。たぶん、若い男が年上の女性に恋文を送ったのでしょう。これはそれをやんわりと断る歌。『倭名類聚鈔』の「乳母」の項に「和名 知於毛」という記述があり、ここではそう読んでおいた。原文は「乳母」であり、一般にこれは「おも」と読まれている。最後の「おも」の原文は「於毛」)。

「おもとじ(母刀自)」(『宇津保物語』:「とじ(刀自)」は、「とぬし(戸主)」であり、家内のことを管理する人、のような意であり、尊称)。