◎「おみ(臣)」

「おみみ(臆み見)」。「お」が、「おい(老い)」のそれに同じく、衰弱したような不活性感が表現される「お」による「おみ(臆み)」という動詞があったとおもわれます。この動詞は下二段活用化し「おめ(臆め)」になる。「おみ(臆み)」は、客観的に対象化された主体に関しそうした衰弱したような不活性な動態が生じる自動表現。何かが憚(はばか)られたり恐ろしかったりし傍(そば)へ寄れないのです。それによる「おみみ(臆み見)」は、臆(お)み見る何か(権威・主)、も、何かを臆(お)み見るもの(権威下にあるもの・従・臣)、も、どちらも意味した。

「『恐(かしこ)し、我(わ)が大神、宇都志意美(うつしおみ) 有(あ)らむとは 自宇下五字以音 覺(さと)らざりき』」(『古事記』:これは臆(お)み見る何か(権威・主)を意味している。「うつし」は「現し」(ありありとした現実感を表現する))。

「もののふの臣(おみ)の壮士(をとこ)は大君の任(まけ)のまにまに聞くといふものぞ」(万369)。

「みなそこふおみ(於瀰)の少女(をとめ)を誰(たれ)養(やしな)はむ」(『日本書紀』歌謡44)。

この「おみ(臣)」は古代の姓名(かばねな)の一つにもなっています。684年の「八種の姓(やくさのかばね)」では六位。

この「おみ(臣)」は「おむ(臣)」とも言う。「臣 ……オム…」(『類聚名義抄』)。これは上記「おみみ(臆み見)」がそのまま二音動詞化しその終止形が現れているものでしょう。

 

◎「おめ(臆め)」(動詞)

「おみ(臆み)」(→その項)の下二段活用化。「おみ(臆み)」には常にそうなる対象があり、その外渉性により活用語尾がE音化した。意味は「おみ(臆み)」と同じであり、客観的に対象化された主体に関しそうした衰弱したような不活性な動態になること。何かが憚(はばか)られたり恐ろしかったりし傍(そば)へ寄れない。これが二度重なった「おめおめ」という表現もある。

「諸歴の並み居る真中、おめる色なく立ち出で」(「談義本」(「談義本」は1700年代後半頃江戸を中心に流行した滑稽な通俗読み物))。