◎「おぼろ(朧)」

「おほほろ(朧ほろ)」。「おほ(朧)」は11月19日。「ほろ」は何かが柔らかく崩れていくような擬態。ぼんやりと、そして柔らかく崩れていくような印象の表現。明瞭に把握できずそれ自体が柔らかく崩れていくような印象です。崩れ果てればそれはなくなる。

「月おぼろにさし入りて」(『源氏物語』)。

「九十ばかりに成りては、耳などもおぼろなりけるにや」(『無名抄』機能がおぼろ。目に関しても言います)。

 

◎「おぼろけ(朧け)」

「おぼろけ(朧気)」。意味は二種ある。

一は、明瞭に把握できずなくなりそうでもあること。意味的にそうであり、取るに足らないことやものであることも意味する。

「おぼろけの蜑(あま)やは潜(かづ)く…」(『後撰和歌集』:蜑(あま)のような人がわずかにいる)。

「おぼろげに覚えている」などと言う場合の「おぼろげ」はこちらの意です。

他の一は、明瞭に把握できないほど、ありきたりな並みのことやものではないこと。

「太子消息を云はしむれば龍王驚き奇(あや)しむ。於保呂介(おほろけ)の人に非ずは爰(ここ)に来(きた)り難(がた)かる可(べ)しとて自ら出で迎へて…」(『三宝絵詞』ありえないような人でなければここにはこられない)。

「まづ、題を賞せざるは歌の大きなる失なり。おぼろけの秀逸にあらざればこれをゆるさず」(『無名抄』)。

「おぼろけの願によりてにやあらむ、風も吹かず、よき日いできて、こぎゆく」(『土佐日記』)。

 

◎「おほよそ(大凡)

「おほよせおほ(大寄せ多)」。全体を寄せたその量・数―それが元来の意味ですが、「おほよせ(大寄せ)」が、細かくない、個々の小さなことにとらわれない、大きくとらえた寄せ、と考えられ、数・量・時間(事象)・思い(考え)などに関し、部分事や細事にとらわれず全的に把握し、や、厳格に把握されたわけではないが、大体の、といった意味で用いられます。「おほよそのひと(おほよその人)」は、全体が大きくとらえられ個々の人は個性をもたない、一般の人やある事象に関係のない人。これは「ほ」が消音化し「およそ」になる。

「凡(おほよそ)象より始めて諸(もろもろ)の獣」(『今昔物語』:すべての獣)。

「層層の中心に皆舎利有り。或は一千二千。おほよそ一万余粒」(『三蔵法師伝』)。

「おほよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり」(「蓮如御文章」:無意味な反省的細事は捨象し総的、それゆえに核心的に把握して)。