「おほやけ(大家気)」。「け(気)」は無いが有るなにか、見えないが有るなにか(→「け(気)」の項)であり、その「見えないが有るなにか」が「おほや(大家):大きな家(いへ)」であることが「おほやけ(公)」。古代、たとえば四世紀五世紀ころであっても、棒を立てて草を葺いただけのような小屋だけがあったわけではない。物的に大きな家もある。そこには血族者も住み、血族ではない者も生活していたでしょう。その大屋(大きな生活用建造物)における「け(気)」が「おほやけ」であるなら、それは「こやけ(小屋気)」との相対的概念でしかない。しかし、「おほやけ」とはそういう意味ではありません。古代にも「おほや(大家)」は多数あった、「こや(小家)」も多数あった、「おほやけ」の「おほや」はそれら現実的、個別的・具体的な「や(屋)」ではなく、それらが普遍化された、一般的・抽象的「や(家)」という意味です。それが見えないが有る。それが「おほやけ(公)」。人の世界を一つの家(いへ)として把握し人の社会をそこでの生活として把握するということです。そうした把握でなされることが「おほやけのこと(公の事)」になり、それをなす人が「おほやけのひと(公の人)」になる。その公人がその公事を専務的に行う機構、すなわち政府、も「おほやけ」と表現されたりもします。

この「おほやけのこと(公の事)」は人が生活する一定の域の統治として現れ、治(をさ)めがなされ、「おほやけのこと(公の事)」は「くにのこと(国の事)」にもなり、この統治・被統治の関係において「おほやけ(公)」と「わたくし(私)」も明瞭に対立(「対」して「立つ」、相対化する、という意味です。対立し争うという意味ではありません)していく。さらには、「おほやけ」は社会一般ともなり、「おほやけにする」は社会一般の不知・私の知を社会一般の知にすることも意味するようになる。また、その存在の空間的時間的一般性により、「おほやけ」は天皇や皇后などの(直接に表現しない)間接的な表現にもなる(つまり「おほやけ」と言っただけで天皇を意味したりする。「『……』とて、いみじく静かに、おほやけに御文たてまつり給」(『竹取物語』))。

 

「粤(ここ)に、今の御㝢天皇(あめのしたしらしめす)より始(はじ)めて臣連等(おみむらじたち)に及(いた)るまで、所有(たもてる)品部(しなじなのとものを)は、悉(ことごと)く皆(みな)罷(や)めて、國家(おほやけ)の民(おほみたから)とすべし」(『日本書紀』:「国家」を「おほやけ」と読んでいる)。

「『我(われ)今(いま)入道修行(おこなひ)せむとす、故(かれ)、隨(したがひ)て修道(おこなひ)せむと欲(おも)ふ者(もの)は留(とどま)れ。若(も)し仕(つか)へて名(な)を成(な)さむと欲(おも)ふ者(もの)は、還(かへ)りて司(おほやけ)に仕(つか)へよ』」(『日本書紀』:「司」を「おほやけ」と読んでいる)。

「公事(おほやけのわざ)」、「官物(おほやけもの)」、「「公平(おほやけごころ)」(以上『日本書紀』)。「官寺(おほやけでら)」(『続日本紀』)。