「おほみとやから(大見と屋族)」。「おほみ(大見)」は大局から見た、の意。個人的事情という限定、居住域・生活域という空間的限定、いつからいつまでといった時間的限定、を超越した大局の、の意。「と」は助詞であり、「おとな(大人)」(→「おとな(大人)」や「おと(音)」の項)や「ひととなり(人となり):人たるあり方」にあるような、思念的に何かを確認する、~たる、の意のそれ。「やから(屋族)」は、家屋(いへ(家))の関係にあるもの(人:必ずしも血族とは限らない)、の意。つまり「おほみとやから(大見と屋族)→おほみたから」は、時空を超えた、ともに生活する、ともに生きている関係にある人一般、時間的空間的人々。そこに個別的具体的な「いへ(家)」(族)が作用すれば、「いへ(家)」としての限定的な「おほみたから」(やつこ:家つ子)が生じ、一般的な「おほみたから」と限定的な「おほみたから:やつこ」が対位した表現が生じたりもします。また、これが国の統治に関連して用いられれば「おほみたから」は「くにのたみ(国の民)」の意味にもなる。この「おほみたから」は漢字では「百姓」「万民」「公民」「人民」「民」「元元」といった様々な書き方がなされています。
ちなみに、大化改新の詔では出生した子の帰属に関し「おほみたから」(ここでは公民と称す)同士では男につき、「やつこ」(私民と称す:「やつこ」は家(や)に帰属し生活しているが族(うがら)をもたない者)同士では女につくという矛盾が起こっています。これは、子は女につくことを一般的原則にしつつ、公民間、公民私民間では(中国の律令の影響も含め)公の建前的配慮が働いているということでしょう。
「是(ここ)を以(も)ちて百姓(おほみたから)榮(さか)えて、伇使(えだち)に苦(くるしまざりき)」(『古事記』)。
「…天下(あめのした)の公民(おほみたから)の取(と)り作(つく)る奥(おき)つ御歳(みとし)は………………秋(あき)の祭(まつり)に奉(たてまつ)らむと…」(「祝詞」:「とし(歳)」は稲や稲の実りのこと)。
「人民 於保牟三〓可良」(『日本書紀私記』(冒頭に「𪲢原家蔵」の朱印のある国立国会図書館蔵のもの):〓は阜偏に「色」の字。たぶん「陀(タ)」の誤読誤写)。