◎「おほなむち(神名)」
「おほあなむち」の「あ」の無音化。「おほあなむち」は「おほああなむち(大ああな貴)」。「おほ」は「大」。「ああ」は感嘆・感動発声。「な」は均質感を表現し情況的に何かを認め了する。「むち(貴)」は尊称(→下記)。「おほああなむち(大ああな貴)→おほあなむち」は、大きく感嘆すべきもの、の意。「あな」は「あな(己)」と同音でもあります。別名「おほくにぬしのみこと(大国主命)」。この神は「すさのをのみこと」の子孫であり、初め国が経営される究極の権威でしたが、その神が身を引き(国譲り)天孫降臨があります。この神は別名も多く、『古事記』には「幷(あは)せて五つの名あり」とされています(大國主(おほくにぬしの)神・大穴牟遲(おほなむぢの)神・葦原色許男(あしはらしこをの)神・八千矛(やちほこの)神・宇都志國玉(うつしくにだまの)神)。『日本書紀』にはそのほか「大物主(おほものぬし)神」という名もある。
「素戔嗚尊(すさのをのみこと)、(奇稻田媛(くしいなだひめ)を)妃(みめ)と爲(し)たまひて生(う)ませたまへる兒(みこ)の六世(むつよ)の孫(みま)、是(これ)を大己貴命(―のみこと)と曰(まう)す。大己貴、此(これ)をば於褒婀娜武智(おほあなむち)と云(い)ふ」(『日本書紀』:「己」が「あな」と読まれている(※))。
◎「むち(貴)」
「みうち(御打ち)」。「み(御)」は「いみ(忌み・斎み)」の「い」の消音化。消音化してもその意味は生きています。この「み(御)」は斎(い)む心情を表現し尊重感・尊重を感じる美しいなにかに広く付されます(→「みことば(御言葉)」その他)。「うち(打ち)」は何かを表すこと、現実化すること→「うち(打ち)」の項。たとえば「おほひるめのみうち→おほひるめのむち」と言った場合、それは原意としては「おほひるめ」の現れ、と言っているのであり、名を呼んでいません。神の名がそのように表現され、名を呼ばぬそうした表現が尊称たる表現となります。
「おほあなむち(おほなむち)」(「神名」)。
「『昨夜(きす)夢(いめ)みらく、一(ひとり)の貴人(むち)有(あ)りて誨(をし)へて曰(いは)く…』(『日本書紀』:「きす(昨夜)」は「ひきしゆふ(日来し夕)」(日が来た夕暮れ→明けた夜→昨晩)でしょう)。
※ この「おほなむち(大己貴)」という神は「すくなびこなのみこと(少彦名命)」という神と「力(ちから)を戮(あは)せ心(こころ)を一(ひとつ)にして、天下(あめのした)を經營(つく)」ったと言われます。この「すくなびこな」は「すくねなひこな(宿禰な日子な)」でしょう。「すくね」たる「ひこ(日子)」ということ。「すくね」(「足尼」や「宿禰」と書く)は、日を助ける・補助する、だけの価値・力のあるもの、の意味。