◎「おぶひ」(動詞)

「おひみゆひ(負ひ身結ひ)」。音(オン)は「おんむひ」のようなものでしょう。(とりわけ赤ん坊を)負ひ、全体を一体的に成型させること。この場合の「み(身)」とは赤ん坊などの身体。それを負ふ部位は最も一般的なのは背であり、そのために用いられた道具は、事実上、帯(おび)。それにより赤ん坊と人(多くは母親)は全体が一体的に成型され、母親は子と同動したままさまざまなことができる。この動詞は活用語尾が「おぶり」にもなります(この変化は明治期ころらしい(下記※))。その終止形「おぶふ」が「おんぶ」にもなりますが、この「ん」は幼児における発音助走でしょうし(「おもて(表・外)」の「おも」が「おんも」になるようなもの)、原意的にも「ん」の要素は入っている(幼児がおんぶしてもらいたい際に「おぶふ→おんぶふ」と言ったわけです)。方言に「おばり」がありますが、これは「おひみはる(負ひ身貼る)」。負った身を自己に一体的に成型すること。意味は「おぶひ」とさほど変わりません。

「どうぞ八幡さま。ぶじで約束がはたせますように。バケモノをおぶってかえれますように」(「おぶさりてえ」・岐阜県の民話)。

※ 同じような活用語尾変化は他にもある。「(ご飯を茶碗に)よそふ・よそる」。

 

◎「おぶさり」(動詞)

「おんぶしやる」。「おぶふしやる」でもいい。意味は「おぶふ」ことをすることに放任した状態になることですが、これは身を一体化する側ではなく、される側が言う。それにより動態を依存し負担・苦労から免れる。他者に費用負担を依存することなども言います。

「御仏(みほとけ)の代(しろ)におぶさる蜻蛉(とんぼ)かな」(『七番日記(シチバンニッキ)』:これは小林一茶の句日記です。蜻蛉を御仏の代わりにしてそれに身を託(たく)してしまうそうです)。

「むかしむかし、八幡(やはた)さまの奥の院にある高い高い杉の木のてっぺんに、バケモノがすんでいました。 そのバケモノは、毎日ひぐれになると、『おぶさりてえー、おぶさりてえー』と、さけぴ、木の下をとおる人がいると、木をスルスルとおりてきて、『おぶさりてえー、おぶさりてえー』と、追いかけてくるのです」(「おぶさりてえ」・岐阜県の民話)。