「おびとはてあはあはし(帯と果て淡淡し)」の音変化。「とは」は「た」になり「てあはあは」は「た」になっています。この語は古くは「おびたたし」と清音だった。「おび(帯)」は名詞であり衣類の一種たるそれ。「と」は思念的に何かを確認する(→「おと(音)」の項その他)。その「おび(帯)」の状態で果(は)てが淡淡(あはあは)しい、とは、帯のように長くあり、その果ては茫漠とし果てがあるのかよくわからない、ということ。ものやことの規模が非常に大きい、ことならばその進展の程度が強い、その数(ものならばその単位数、ことならばそれが起こる数や回数(頻度数))が非常に多い、といったことを表現し、その限界未知による不安も伴っています。

 

「山門の大衆飫(おびたた)しう蜂起して」(『平家物語』)。

「中御門京極のほどより大きなる辻風起こりて、……こもれる家ども、大きなるも小さきも一つとしてやぶれざるはなし。……いはむや家のうちの資財、数をつくして空にあり。………塵を煙の如く吹きたてたれば、すべて目もみえずおびただしく鳴りどよむほどに、ものいふ声も聞こえず…」(『方丈記』) 。

「秦舞陽(シンブヤウ)は樊於期(ハンオキ)が首を持つて珠の階を昇り上がりけるがあまりに内裏の夥(おびただ)しきを見て秦舞陽わなわなと震ひければ臣下これを怪しんで…」(『平家物語』:想像を超えたものものしさ、のようなものを感じている)。

「其の苦痛夥(おびただ)しく見えき」(『栂尾明恵上人伝記』)。

「金銭三千貫に御売り候へと仰せければ、あら不思議や。此程(今日この頃)売りかひ候ふ布は、よの常やすく候ふが、是は餘(あま)りにおびただしく候ふとて…」(「御伽草子(蛤の草紙)」:あまりに売値が高すぎると言っている)。

「かの友則(とものり)が歌に『友まどはせる千鳥なくなり』といへる優にきこゆるを(これは優れて聞こえるが)同じ古今の恋の歌の中に『恋しきに詫(わ)び玉(たま)しゐまどひなば』といひ、又……といへるは、只同じことばなれどおびたたしく聞(きこ)ゆ」(『無名抄』「連(つづけ)がら善悪事」:表現が大げさということであり、あまり好感をいだいていない)。