「おとりをへ(劣りを経)」。「おとり(劣り)」の状態を経過しその結果状態にあること。「おとり(劣り)」はその項(10月29日)。「おとりをへ(劣りを経)→おとろへ」は、物的・社会的な力や権威・その効果作用力が弱い評価を受ける状態にあり、その結果たる状態にあること。
「いにしへ盛りと見えし御若髪(わかかみ)も年頃におとろへ行き…」(『源氏物語』)。
「昔、おとろへたる家に、藤の花植ゑたる人ありけり」(『伊勢物語』:これは社会的な衰え)。
「吾歯之 衰去者 白細布之 袖乃狎尓思 君乎母准其念」(万2952)。この歌は、特に一句と五句が、さまざまに読まれていますが、読みは、「われははの おとろへぬれば しろたへの そでのなれにし きみをはじもふ」(我は代(は)の 衰へぬれば 白栲の 袖の萎れにし 君をはじもふ)、でしょう。一句の「歯」は(底本(西本願寺本)を書き変え古い出版物でもネットでもそれが常識のように)「齢」であるとして一般に「よはひ」や「いのち」や「とし」と読まれています(つまり一句は「わがよはひし」や「わがいのちの」や「わがとしの」といった読みがなされる)。「われははの」の最初の「は」は助詞ですが、つぎの「は」は「葉」であり、「は(葉)」は時間を意味し(→「はは(母)」の項)、その「は」が「歯」と書かれ、自分の時間を、「よ(代・世)」を、意味することは「万10」にもあります(→「君之歯母」(万10(下記※2))。ここでいう「は」とは「よ(代)」であり、自分の時間です。五句の「君乎母准其念」は、「きみをしぞもふ(君をしぞ思ふ)」という読みが一般的なようです。これは「母」の字はどこへ行ったのだ?と思うような読みですが、何となくそんな気がする、という読みなのでしょう。上記の「きみをはじもふ」の「はじもふ」は「ははじみおもふ(母じみ思ふ)」(母のように思われる)。「母准其念」という表記は意が書かれており、母に准(なぞら)へ其(そ)れを念(おも)ふ、ということ。この歌は、齢(よはひ)や命(いのち)が衰えているので馴れ親しんだあなたが思われる、という歌ではなく、私の生きている時間はもはや力を失いつつある。そうなっていま私は、どうということもなく馴れ親しんできたあなたが母のように思われている、という歌。
※1 万2952の一般におこなわれている読みの一つを記せば「わが齢(よはひ)し衰(おとろ)へぬれば白(しろ)たへの袖(そで)のなれにし君(きみ)をしぞ思(も)ふ」。
※2 「とし(年)」を「歯」と書くことには「年歯」「歯算」(どちらも年齢を意味する)といった漢語の影響もあるのかもしれません。なぜ「歯(シ)」が年(とし)を意味するのかに関しては、ようするに、並ぶから、ということなのではないでしょうか。歯は並び連なり、年も並び連なる。「シ(歯)」という音(オン)は歯に呼気を当てる擬音でしょう。