◎「おこり(起こり)」(動詞)
「おこし(起こし)」(9月18日)の自動表現。「おこし」が出現を現象化させることであり、「おこり」は現象の出現を表現します。「おき(起き)」と「おこり(起こり)」の違いは、「おこり」は現象の出現を表現する。たとえば「人が起き」と「人が起こり」(人類が出現し)。これが主語が事象の場合は「おき(起き)」も現象の出現を表現し違いが曖昧になります。たとえば「事件が起き」と「事件が起こり」。
「おこし(起こし)」「おこり(起こり)」が発火に関し言われることは非常に古い時代からのものでしょう。「火をおこし」「火がおこり」。熱の起こりを意味し熱病の一種を言う「おこり(瘧)」という語もある。
「是(これ)に由(よ)りて始(はじめて)起大八洲國(おほやしまのくに)の號(な)起(お)これり」(『日本書紀』)。
「をのがどちの心よりおこれるけさう(懸想:恋)にもあらず」(『源氏物語』)。
「山大衆のをこりたるときに…」(『中外抄』:これは「怒り」ではなく「起こり」。一斉に騒ぎ出したのでしょう。ちなみに、この『中外抄(チュウグヮイセウ)』は平安末期の聞き書き集ですが、書名の由来は書いた人の姓「中原」と官名「外記(ゲキ)」を重ねたものだそうです(つまり、別に内容を表しているわけではない))。
◎「おこり(怒り)」(動詞)
「おこり(起こり)」。発火を意味するそれにより人のある心情や動態のあり方を表現したもの。つまり、この「おこり(怒り)」は火が起こるイメージで言われている。人が発火を(特に炭火のそれを)感じさせる状態になること。「おこられ(怒られ)」は万葉の時代には同じようなことを言う「こられ(嘖られ)」がありました(万3519)。
「そら、弁慶がおこったぞ」(「滑稽本」)。
「おこりっぽい人」。
◎「おごり(奢り)」(動詞)
「おほげふり(大気振り)」。この「ふり(振り)」は何かをあらわすことを表現します。「(権力を)ふるふ」に似ている。「おほげふり(大気振り)→おごり」は、大きな「け(気)」をあらわすこと。現実対応が無効化するほど自我が想的に肥大化するこの状態は人のあり方として一般的にあることですが(人間の脳はそういう想化が起こります)、経済的に富みふるまいがそうなることを言う傾向が強い(「け(気)」は客観的に感知されることであり経済的関係も客観的ということでしょう)。人に飲食をふるまうことも言いますが、自ら作りふるまうのではなく、商売としてのそれにより相手の代金を支払う(自分の金銭で他者に飲食させる)。
「侮(あなづ)り嫚(おごりて)自(みづか)ら賢(さか)しとおもへり」(『日本書紀』:これは継体天皇の部分にあるものなのですが、筑紫の磐井(いはゐ)がそういう状態だと物部麁鹿火(もののべのあらかひ)という人が言っている)。
「おごれる人も久しからず」(『平家物語』)。
「富める者をば日にますます侈(ヲコラ)しめ、貧乏の者をばいよいよ貧窮を益す」(『守護国界主陀羅尼経』平安時代中期点)。
「何でも、そば(蕎麦)をおごるなら…」(「咄本」)。