◎「おこし(起こし)」(動詞)
※ この語は単純に「おき(起き)」の他動表現(上二段活用動詞の他動表現で活用語尾がなぜO音化するかに関しては「おとし(落とし)」の項)と言ってもほとんど意味は変わらないようですが、「おき(起き)」は意思関与のない動態を表現しており、それをそのまま他動表現することには不自然さを覚えます(ただし、上二段活用動詞「おき(起き)」の他動表現です、「おき(起き)」をさせることです、と言っても、事実上、問題は生じないと思います)。
◎「おこし(遣し)」(動詞)
「おこせ(遣せ)」(下記)の起源性が忘れられ四段活用化した動詞。「お」が脱落し単に「こし」とも言う。意味は事実上「おこせ(遣せ)」と同じ(占有を離すことに着目した場合、意味は現代の「よこし」に似ています→「こっちによこせ」)。
「浜屋敷から俺を呼びにおこしたのか」(「歌舞伎」)。
「あなたからおこしたがる者は私のいやでござる」(「狂言」)。
◎「おこせ(遣せ)」(動詞)
「おくをよせ(置くを寄せ)」。「よ」は消音化した。「おく(置く)」は存在化させること(→「おき(置き・措き)」の項・9月2日)。「を」は状態を表現する(→「を(助)」の項)。「おくをよせ(置くを寄せ)→おこせ」は、置くという状態で寄せた、ということ。AがBをCに「おこせ」た場合、BはCに「おき」が起き、Aからの遊離・離脱感も生じる。つまり、BはAからCへ占有が移動する。つまり、CはAからBを貰ったわけであるが、この「おこせ(遣せ)」は他者から受けた印象を弱めた自尊表現です。
「白玉(真珠)の五百箇集(いほつつどひ)を結びおこせむ海人(あま)は…」(万4105)。
「こち(東風)ふ(吹)かばにほひ(薫)おこせよ梅の花」(『拾遺和歌集』)。
「講師(カウジ:僧の職名)、物、酒おこせたり」(『土佐日記』)。
「政頼がもとにおこする文」(『宇津保物語』)。