受身・可能・自発・尊敬と言われる助動詞「れ・られ」(終止形「る・らる」)がY音化している「え・らえ」(終止形「ゆ・らゆ」)があります。ただし「らえ」は連用形では現れていません。「寝らえぬ(寝られぬ)」のように否定形で現れます。これはR音が客観的に情況を表現するのに対しY音が主観的心情的に情況を表現することによります。「さはやか(爽やか)」「さはらか(爽らか)」といった表現にもそれは現れます。

「見るに知らえ(延)ぬ良人(うまひと)の娘(こ)と」(万853:知られぬ。最後の部分は、「うまひと」の娘(こ)と私には察せられた、ということか。「うまひと」は下記※)。

「か行けば人に厭(いと)はえ(延)」(万804:厭はれ)。

「今城の内は忘らゆ(庾)ましじ」(『日本書紀』歌謡119:忘らるましじ)。

「妹を思ひいの寝らえ(良延)ぬに暁(あかとき)の…」(万3665:寝られぬ)。

 

※ 「うまひと(うま人)」という表現の「うま」は、「うまいひ(旨飯)」のような、ク活用「うまし(旨し・巧し)」(その項)の語幹による表現形式に影響されつつシク活用「うまし(美し)」(その項)の意で言われています。意味は、感嘆する人、ということなのですが、俗世の人とは思えない仙人界の人のようであったり、俗世でも会うことなどないような高貴な人であったりします。この万853の場合は仙人界の人のようであり、だから「見るに知らえぬ」(見ているのに知られない)。