「う(得)」のE音化。「う(得)」に外渉感(外的対象・環境との係わり感)・外渉的動態感が生じた表現。「う(得)」は「うむ」と発声をともない認容する動態の表現であり、これが帰属の自己認容を表現します。この「う」は「うけ(受け)」の「う」にもなっています。

「吾はもや安見子(やすみこ)え(得)たり」(万95)。

「病(やまひ)をえ」(これは、努力して獲得したわけではなく、そうした状態にあり、という現状認容)。

「僧正遍照は歌のさまは得(え)たれども」(『古今集』序:これもそうした状態があることの現状認容)。

「殿にも文作りしげく、はかせ才人どもところえたり」(『源氏物語』:「ところ」を「う(得)」の状態になった。「はかせ」「才人」が社会的に自分が生きる情況・境遇を受容する状態になった)

「やむをえず」(止(や)む状態が「う(得)」にはならず。止(や)む状態が受容・認容される状況はなく)。

「こころえ(心得)」((何かを)心(こころ)に得(え)、ではなく、(何かの)心(こころ)を得(え)、の意)。

動詞の連用形につきその動態の外渉感が表現された場合、可能感を表現します。動態が、否定されず、認容されることはそれは有効であり可能だということです→「言ひえ(得)」、「成しえ(得)」、「ありえない」その他。