心情が癒えることを言ふことを表現する「うる」があります→「うる」の項(下記)。それに準じた表現「うり」による「うりああみ(うりああ見)」。これは原形的には「うらいえいひああみ(裏癒え言ひああ見)」。つまり「うり」は「うらいえいひ(裏癒え言ひ)」。「うらいえいひ(裏癒え言ひ)」に関しては「うる」の項(下記)参照。「ああ」は、やりきれなさのような、絶望化した思いを吐き出す発声。「うり(裏癒え言ひ)」がまったく無効なのです。「うらみ(恨み・怨み)」はそんな、心情が癒えることを言ふことが絶望化した、心情で何かを見つめること。この「うらみ(恨み)」は、相当に深刻なそれも人には永々とあるのではありましょうが、平安時代には、桜を散らす風の出処を教えてくれ、私が行って「うらみごと」を言おう、などという歌もあります。桜が散ってしまう残念な悔しい思いが「うらみ」なのです。女を恋ふ思いが満たされず「うらみわび(恨み侘び)」という状態になっている歌もあります。この動詞は古くは上一段活用であり、やがて上二段活用を経、四段活用になります。すなわち、古くは否定は「うらみず」。後世は「うらまず」。「ちる花をなにか恨みん…」(『古今集』)。
(これは「うったへ・うるたへ(訴え)」の項(6月8日)でも書いたのですが、また書きます)
◎「うる」
心情が癒えることを言ふことを意味する「うる」があります。これは「うらいえいふ(裏(心)癒え言ふ)」。これが「うるふ」のような音(オン)を経つつ「ふ」は退化し「うる」になっています。これにより「うるもの(うる者)」などという表現もあったでしょう。心情が癒えることを言う、とは、不満や不平を言う、ということであり、これにより「うる」が、不満や不平を言うこと、不満や不平を言う者、を意味したでしょう。ただし、ここで、不満や不平を言うこと、とは、心情が、思いや心が、癒えることを言ふことであり、不満や不平ばかり言っているわがままを意味するとは限りません。彼、彼女は正しいことを訴えているのかもしれないのです。これによる、これに準じた、表現により、「うるたへ(訴へ)→うったへ(訴へ)」、「うるさし(煩し・五月蝿し)」、「うるしね(粳)」、「うるち(粳)」、「うるふ(閏)」(「うるふどし(閏年)」のそれ)などがあります(つまり、「うる」がそれらの語の要素になっているということです)。