「うらやぶれ(裏破れ)」。「や」の無音化。「うら(裏・心)」は内面情況を表します(7月19日)。「うらやぶれ(裏破れ)→うらぶれ」は、それが破れ(構成の本質が破滅崩壊し)構成感のある力が失われている情況にあることを表現します。人が、内面的に、力ある構成力が失われている状態になっています。「うらびれ」という表現もありますが、これは「うらやみいれ(裏病み入れ)」でしょう。内面的に力ある元気な状態が失われていること。のちには社会的に構成力が失われそれゆえに活性力が衰弱あるいは喪失している状態になっていることも言います→「うらぶれた生活」。

「君に恋ひしなえうらぶれ吾が居れば…」(万2298)。

「ひともねの(比等母禰能)うらぶれをるに立田山(たつたやま) …」(万877:「ひともねの」は、人、喪音の(ひと、もねの)、でしょう。そこに居る万座の人は皆、喪に服したような(声や様子が)響きの「うらぶれ」た様子になっているが、の意。この部分は一般に、語義未詳だが「もね」は「みな(皆)」か、とも言われます。万座の人は皆うらぶれた様子になっているが、あなたは立田山(たつたやま:その先に奈良がある)に馬が近づいたら私たちのことは(都へ帰るうれしさで)忘れてしまうのだろうか、という歌。これは任地・大宰府から都へ戻る人の餞別の宴席での歌)。

「秋山の黄葉(もみぢ)〓怜(あはれと)うらぶれて入りにし妹は待てど来まさず」(万1409:「〓」は偏「忄」に旁「可」の字:これは挽歌。身も心も失い美しい世界へ入っていってしまい帰ってこない、のような歌)。