◎「うべなひ(諾ひ)」(動詞)
「うべねはひ(宜音這ひ)」。「うべ(宜)」(7月6日)が聞こえるような情況になること。承服したり納得したり従ったりします。服従する状態になることも意味します。「不服(うべなは)ぬ者はただ……のみ」(『日本書紀』)。「主上(みかど)驚きましまして、茂光(もちみつ)が申す旨をうべなはせ給ひ…」(「読本」)。過(あやま)ちを認めること→謝罪も意味します(相手の非難に対し、『もっともだ』と、これを『うべ(諾)』とする音(ね)が這ふ(環境に現れる)わけです)。「むべなひ」とも言う。
「うべなみ(宜並み)」。「なみ(並み)」は「ならび(並び)」のような用いられ方をする自動表現の動詞ですが、意味本来は客観的に認了感・均質感のある状態になること、平均化したり平質化したりすることを表現します。この「うべなみ(諾み)」の場合は自分において平質化します。「うべなみ(宜並み)」は「うべ(宜)」と、全く納得して、「なむ(並む)」・(何かと)平質化する。何かとまったく納得して受容する状態になる。何かを、全く問題がないとして受け入れそれと平質化し同質化する状態になること。「うべなひ(諾ひ)」(上記)は服することを環境に現すことですが、「うべなみ」は受け入れ受容すること。「(淡路に侍(はべ)り坐(ま)す人は)天地のうべなみゆるして授け賜へる人にあらず」(『続日本紀』宣命・天平神護元年(765年)三月五日:これは孝謙天皇(女性)が重祚(チョウソ・ヂュウソ:一度譲位した天皇が再び即位すること)した称徳天皇(764年~)の時代であり、この年、僧・道鏡が太政大臣になっています。「淡路に侍(はべ)り坐(ま)す人」とは前天皇淳仁天皇。752年に大仏は開眼し、このころ仏教が国教になったような気分になった仏教僧もいたのかもしれませんね)。
◎「うほりくるひ」
「うはおりくるひ(上織り狂ひ)」。表面的に狂ひ、の意。「有間皇子(ありまのみこ)性(ひととなり)黠(さと)くして陽狂(うほりくるひ)すと、云云(しかしかいふ)」(『日本書紀』:ここで「さとし」と読まれている「黠(カツ)」は古訓に「悪賢い」の意はありません)。