◎「うなゐ(髫髮)」

この「うなゐ」という言葉は、「えいなゐ(え否居)」。「えい」が「う」になっている。語頭の「え」は、基本は驚きや意外感などを表す発声ですが(→「えも言はれぬ」)、否定の強意にもなります(→「え避(さ)らぬ」(けして避けられない)→「え(驚)」の項)。その場合は、けして、の意。「えいなゐ(え否居)」は、(男と女のことは)けして否な居(ゐ:あり方)の者、の意。これが非常に幼い女の子を意味します。この「えいなゐ(え否居)」が「えいなゐうなゐ」と言われ、その「うなゐ」の一般的な髪型が「うなゐゆひ(うなゐ結ひ)」と言われこれも「うなゐゆひうなゐ」になり、「うなゐ」が幼児、その特徴的な髪型、特に成長に伴う髪型の変化が目立ち印象的な女の子の髪型、を意味し、これが時代の変遷とともに幼児(特に女の子)の髪型が変わったのちも幼い女の子の髪型(それに象徴される幼い女の子も)が「うなゐ」と言われたのでしょう。『万葉集』には「童女」を「うなゐ(宇奈爲)」と訓み、「うなゐはなりに(宇奈爲放爾)かみあげつらむか」言っている歌があります(歌番3823:この歌はその前にある歌(3822)の「童女」の訓みとして伝わっていた「うなゐ」を髪型と理解しています(下記※)。ちなみに、「はなり」は「はなれ(放れ)」の他動表現でしょう)。「うなゐはなり(放り)」に髪を上げたということはその前は髪を結んでいたのでしょう(古代の幼児の髪型はそうしたものだったということです。その前の万3822の歌では「童女(うなゐ)はなりは髪上げつらむか」と言っています)。一方、平安時代には「うなゐ」を「被髪」(結ばない髪)と表現しています(つまり、「うなゐ」は幼い(あるいは年少の)女の子を意味し、その特徴的な髪型も意味し、その特徴的な髪型は時代とともに変遷している)。

 

「万3822」は原文「橘寺之長屋爾……」ですが、「寺」は原稿にあった縦書き「土寸(とき)」の誤読・誤記であり、「長屋(ながや)」もそれにつられた「汝(な)が屋(や)」の誤読・誤伝・誤記でしょう(寺の汝(な)が屋、は不自然ですが、寺の長屋(ながや)、はあり得ます)。これは「古歌」とされていますが、『万葉集』編集部でそうした誤読・誤記が起こったか、あるいはその古歌が伝承される過程でそういうことが起こっているのでしょう。原歌は「たちばなのときのながやに……(橘の門着(土寸)の汝が屋に……)」(香り高い門をくぐって入るあなたの家で……)、ということ。続く「万3823」は、その万3822歌を「たちばなのてらのながやに……(橘の寺の長屋に……)」と誤読し『寺に女を引っ張り込むなんてけしからん』という思いになった人がそれを作り直し作られた。

 

◎「うなり(唸り)」(動詞)

「うねはやり(『う』音逸り)」。「はやり(逸り)」は勇みたったような状態になること「はやり(逸り)」の項参照。『う』を思わせる音響(口音を基本として)があり、その『う』の響きが心情が昂進している状態であること。「うなり声」。「かけとりが来ると作兵衛うなりだし」(「雑俳」)。「風で凧がうなる」。「観客が感心しうなる」。江戸時代には、人々が感心しただ「うーん」というような豪勢な遊びを「うなった事」と言ったりもしました。音響と離れた用いられ方もあります。「金庫に金(かね)がうなる」(これも感心するような豪勢なことということでしょう)。