◎「うなぎ(嬰ぎ)」(動詞)
「うなは(鵜縄)」の動詞化。つまり「うなはぎ(鵜縄ぎ)」の「は」の無音化。「うなは(鵜縄)」のように首に何かをかけること。首飾りをつけるような動作ではあります。しかしそこには自分が鵜になったような、誰かに動かされるままになるような意味合いがあるでしょう。その誰かとの関係は、首飾りをやりとりするような関係であり、恋愛関係。「我がうなげる玉の七つ条(を)」(万3875:「げ」の原文は 「雅」)。
後には巻くように手にかけていることも言ったようです。「此の諸(もろもろ)の天女、左には瓔珞(ヤウラク:玉をつないだ首飾り)を佩(ウナキ 別訓 オヒ)右には楽器を負ひて」(『弥勒上生経賛』(平安時代初期))。
この語は首に関係するので「うなじ(項)」の動詞化のような言い方もされますが、関係ないでしょう。「うな(項)」に着て「項着(うなぎ)」、それが四段活用化した、あるいは、上記の「うなげる」は「項着(うなぎ)」に完了の助動詞「り」がついたもの、といった考えもありそうですが、首飾りは項(うなじ)に着るか? むしろそれは胸に着るのではないか? とも思われ、緒が鵜縄(うなは)のようになること、という表現の方が自然に思われます。
◎「うながけり」(動詞)の語源
「うむなぎかけり(『うむ』和ぎ翔けり)」。『うむ』は応諾の意思動態を表現します。「なぎ(和ぎ)」は均質化した状態になることを表現します。「かけり(翔り)」は、彼方の何かを目指し追っているような状態・動態になること(「あまかける(天翔る)」の「かけり(翔り)」。これは走ることを意味する「かけ(駈け)」とは別語)。すなわち「うながけり」は、『うむ』という、双方が満ち足りた(双方に全く抵抗感が生じていない)、まったく和(な)いだ状態で翔(か)ける、ということであり、一体になって同じ夢を追っているような、まったく応諾・納得し情況的にまったく均質化した状態になること。この動詞による『古事記』にある表現は理想的な夫婦の和合関係を表現しています。「すなはち盞結(うきゆひ)して、うながけりて今に至るまで鎮(しづ)まり坐(ま)す」(『古事記』)。「橋だにも渡してあらば その上(へ)ゆもい行(ゆ)き渡らし たづさはりうながけりゐて 思ほしきことも語らひ 慰むる心はあらむを…」(万4125:「たづさはり」は一体的になること。これは七夕に関係した歌)。
この語は、意味未詳、とも言われつつ、上記「うなぎ(嬰ぎ)」との関係が言われたりもしますが、関係はないです。
◎「うながし(促し)」(動詞)の語源
「うむながし(『うむ』流し)」。「うむ」は、応諾・承諾の意思表明の発声として現れますが、この場合は、ある意思を自己が応諾している意思として、自己の意思として、発動するその意思発動を表現します。それを「流(なが)す」とは、特定性を帯びたある意思表現を情況的に伝導される状態にすること。「A」という意思動態を流し人や人々がそれに流される状態にすれば「Aをうながし」(「注意をうながし」などの場合)、流され、伝導されたその意思動態に従えば、それは促(うなが)されています。「ここに百姓(おほみたから)うながされずして……材(き)を運び簣(こ)を負ふ」(『日本書紀』)。「供の人は『日も暮れぬべし』とて『御車うながしてむ』といふに、『しばし』といふほどに」(『大和物語』)。「産を趣(うなか)して急(すみ)やかに宮に入れしむ」(『史記呂后本紀』)。
この語も上記「うなぎ(嬰ぎ)」との関係が言われたりもするのですが、関係ないです。