◎「うとねり(内舎人)」の語源
「うちとねり(内舎人)」。「ち」の無音化。「うどねり」とも言います。これはここでの語源というわけではなく『倭名類聚鈔(ワミャウルイジュセウ)』という900年代前半に成立した辞書にそう書かれています。「内舎人局職員令云中務省内舎人〈宇知止禰利〉」(『倭名類聚鈔』)。内裏の(外でなく)内を(天皇の周囲を)警備したり雑務で仕えたりする舎人(とねり)。「内舎人大伴宿禰家持作歌六首」(万475題詞)。内裏で天皇に近習する者も舎人(とねり)もそれ以前からいるのですが、「うとねり」が制度化したのは701年、当初は文官であり、高級公家の子弟がなったりもしましたが、900年代初期から、事実上、武官化します。東国で「平将門(たひらのまさかど)の乱」が起こったのが939年ですが、だいたいそのころには、将来「武家」になるんだろうなと思うような者たちはいるのです。「おほとねり(大舎人)」という語もありますが、語の発生としては、まず「とねり」があり、天皇に関係の深い、高級公家の子弟などによってなされる「うとねり」が生まれ、一般的な「とねり」は「おほとねり」になり、ということでしょう。
◎「うとび(虚現び)」(動詞)
「うつよび(現世び)」。「び」は形容詞語幹その他を動詞化する「び」(→「び」の項)。「うつよび(現世び)→うとび」は、現(うつつ)の世のもののように現れること。「祝詞」にある表現です。この「うと」は「うとし(疎し)」「うとみ(疎み)」のそれや「うとうと」のそれとは異なります。
「朝(あした)には御門(みかど)を開(ひら)きまつり 夕(ゆふ)べには御門(みかど)を閉(た)てまつりて 疎(うと)ぶる物(もの)の下(した)より往(い)かば下(した)を守(まも)り 上(うへ)より往(い)かば上(うへ)を守(まも)り…」(「祝詞」『祈年祭(としごひのまつり)』)。
「四方内外(よもうちと)の御門(みかど)に ゆつ磐(いは)むらの如(ごと)く塞(さや)りまして四方四角(よもよすみ)より疎(うと)び荒(あら)び来(こ)む天(あめ)のまがつひといふ神(かみ)の言(い)はむ悪事(まがごと)に…」(「祝詞」『御門祭(みかどほかひ)』)。