「うつくし(現奇し)」。「うつ(現)」は明瞭な、ありありとした現実感を表現します→「うつ(現)」の項(5月31日)。「くし(奇し)」は現れ起こっていることの影響がはかり知れず深奥であることを表現します→「くし(奇し)」の項。すなわち「うつくし(現奇し・美し)」は明瞭な現実感への深い感銘、その影響の深奥感、を表現します。それは現実にありありと見、起こる情感の湧起に胸がつまるような感銘です。昔はこの言葉が最愛の幼い我が子を見ている際の思いを表現したりしました(下記A.B)。これが愛らしさの表現にもなります(下記C)。また、その後、明瞭感は何かが整然と理想的に整っていることも意味します(D)。しかし時代が下るにつれ、「うつ(現)」という言葉の影響でしょう、この言葉は視覚印象への目が覚め我を忘れるような思いを表現することに傾いていきます(下記E)。

A.「うつくしき吾が若き子(幼い子)を置きてか行かむ」(『日本書紀』歌謡121:年老いた斉明天皇が幼くして亡くなった建王(たけるのみこ)をしのんだ歌)。

B.「妻子(めこ)見ればめぐしうつくし」(万800)。

C.「うつくしきもの、瓜(うり)にかきたる児(ちご)の顔、雀の子のねず鳴きするにをどり来る………ちひさきものはみなうつくし」(『枕草子』)。

D.「かくて大学の君、その日のふみ、うつくしう作り給(たまひ)て進士になり給ひぬ」(『源氏物語』)。

E.「かへでの色うつくしうもみぢたるを(紅葉したものを)植ゑさせて」(『平家物語』:「もみち」は紅葉・黄葉していることを表現する動詞です)。

 

「うつくし」が語幹になった「うつくしみ」・「うつくしび」(語尾の「び」は「都び」などの、それが形容詞語幹についている場合→「び」の項)という動詞もありますが、この場合の「うつくし」は上記AからCくらいまでの意味です。D・Eの意味では言いません。その結果、「うつくしみ」は「いつくしみ(慈しみ)」(この動詞は室町時代頃に生まれたもの)に似た意味になります。