◎「うたた」
「うてあた(棄て敵)」。棄(う)ての敵(あた)、の意。(仏教的な意味で)自分を捨てる(悟る)ことの敵(あた)。悟ることを邪魔する敵。すなわち、この世に未練を引くもの。「うたたあり(うたた有り)」は、「うてあた(棄て敵)」があるということであり、「うたたある」は、捨てたいが捨てられない、捨てなければ悟りの世界へは行けないことは分かっているが捨てられない、何か、や、そうした思いがある何かを表現する。
「花と見て折らんとすれば女郎花(をみなへし)うたたあるさまの名にこそありけれ」(『古今集』:捨てなければ悟りへはいけないことは分かっているが未練を引く)。
「思ふことなけれどぬれぬ我が袖はうたたあるのべ(野辺)の萩の露かな」(『後拾遺和歌集』)。
「うたて」(その項参照)と混同した「うたた」もあります。これは「うたてや」(「や」は詠嘆)が「うたた」になっているということでしょう。これは際限なく程度が増していくような状態になっていることを表現します。「徒衆転(うたた)多ければ…」(『大智度論』:『大品般若経』の注釈書。訓点は平安初期)。「飛泉うたた声を増す」(『和漢朗詠集』)。「うたた分明」(まったく明らか)。そして、「うてあた(棄て敵)」の意味の「うたた」が用いられなくなっていくにつれ「うたた」は後者の意味になっていきます。この後者の意味での「うたた」は漢字では「転」と書きます。
◎「うたたね(仮寝)」
「うたたね(うたた寝)」。「うたた」はその項参照(上記。「転」の意味ではなく、その最初の意味)。俗世にひたりきり囚(とら)われただらしない眠り。発生的には仏道修行中や学習中の居眠りを表現した語でしょう。
「うたたねに恋しき人をみてしよりゆめてふ物はたのみそめてき」(『古今集』)。