「うちとよあけいえ(打ち豊明け癒え)」。「うちとよあ」までが「うた」になり「けいえ」が「くえ」のような音を経つつ「げ」になっているわけです。「うち(打ち)」は何かを現すこと、現実化することを意味します「うち(打ち)」の項。「とよ(豊)」は想像を絶していること「とよ(豊)」の項。「あけ(明け)」は、この場合は自動表現。開放があること。「いえ(癒え)」は安堵、癒(いや)しがあること。つまり「うちとよあけいえ(打ち豊明け癒え)うたげ(宴)」とは現実化されている安堵・癒し、ということであり、それが豊かな開放感があること、ということです。言っていることの基本は「うちいえ(打ち癒え)」(現実化している癒し)であり、「とよあけ(豊明け)」はそれがどのような「うちいえ(打ち癒え)」かを形容しています。この形容部分でことを表現すれば「とよのあかり(豊の明かり)」と同じ意味になります(これも宴を意味します)。宮中に晩餐会を執り行う「豊明殿」という場がありますが、この「豊明」は「とよのあかり(豊の明かり)」をそのまま漢字表現したものです。

具体的に行われることは、ある限定空間に複数の人が集まり、飲み食いし、酒なども飲み、言語交流もあり、音楽を奏でることや舞が舞われることその他があることもあり、それにより人間関係の融和を得るということです。飲み食いするものを出すなどして人を(ときには神を)もてなすことを古代では「あへ(饗へ)」と言うことがありましたが、「うたげ(宴)」や「とよのあかり(豊の明かり)」は、(神とのそれではなく、人相互のそれに視点の置かれた)その「あへ(饗へ)」の雅称・美称というようなもの。

この語は「うちあげ(打ち上げ)」の約、とする説が非常に多いです。本居宣長がそう言ったからでしょうか。「宇多宜(うたげ(下記※))は拍上(うちあげ)の切(つづ)まりたる名なり。……酒を飲楽みて手を拍上(うちあぐ)るより云る名なり」(『古事記伝』)。しかし、手を打って音響を打ち上げることが「うたげ」とも思われません。折口信夫は平安期の大饗(おほあへ)で柏手(かしはで)を打ったから、と言っているそうです。「あへ(饗へ)」で柏手(かしはで)を打つことはあり得ますが、それは饗(あ)への特性は表現しません。柏手(かしはで)は初詣でも打ちます。

 

※ 「宜」の音(オン)は現代では一般に「ギ」ですが(→便宜(ベンギ)をはかる)、本居宣長は「万葉仮名」的な漢字の用い方をしています。