「う」は空虚感を表現し(→「う」の項・4月10日)、「す」は、「すく(透く)」の「す」と同じ作用をします。U音の遊離感のあるS音の動感による解放感(自由感、独律感と言ってもいい)が表現されています。「うす(薄)」では空虚感が解放的(自由な独律的)動態感をもって表現されます。つまり、独律的な動態感のある空虚感が表現されるということです(空虚へ向かう動態と言った方がわかりやすいでしょうか)。存在自体、その物的規模、に衰性が表現されている場合「ちひさ(小)」になるわけですが、その規模に衰性が表現されるわけではなくその存在の空虚感が表現されるときそれは「うす」になります(たとえば紙ならば、面積が小さくなるのではなく、その存在感が空虚に、希薄になると「うすく」なります)。人の能力や事象(現象)の程度や社会的な関係に関しても言います。この「うす」は「うすし(薄し) 」という形容詞の語幹になります。

この「うす(薄)」と「あさ(浅)」「おそ(遅・鈍)」は母音変化の関係にあります(下記※)。

「佐保川に凍(こほ)りわたれる薄氷(うすらび)のうすき心をわがおもはなくに」(万4478)。

「阿闍梨(アザリ)の験(ゲン)のうすきにあらず。御物怪(もののけ)のいみじうこはきなりけり」(『紫式部日記』)。

「こよひ見へぬはうん(運)のうすいお人」(「浄瑠璃」)。

「うすき身上(シンシャウ)の者なれども」(「仮名草子」:財産や収入が乏しい者だが)。

「うすい紙」、「色がうすい」、「味がうすい」、「最近、髪がうすくなった」。

 

※ 「あさ(浅)」と「うすし(薄し)」の「うす」「おそし(遅し・鈍し)」の「おそ」は母音変化の関係にあります。どれも空虚感とS音の動感による表現ということですが、「あさ(浅)」はその空虚感がA音により情況感として、「うす(薄)」はU音によって自由な独律的動態感をもって、「おそ(遅・鈍)」はO音によって対象感・対象的存在感をもって、表現されます。同じようなA・U・O音の母音変化は「あな(己)」「うぬ(自・己)」「おの(己)」にもあります。