「うちうや(打ち礼・打ち敬)」「うちゐや(打ち礼・打ち敬)」。「ちうや」や「ちゐや」が「た」になっているわけです。「うち(打ち)」は、現実化すること、表すこと、を意味します(→「うち(打ち)」の項:「芝居をうつ」という言い方がわかりやすいですね)。「うや(礼・敬)」「ゐや(礼・敬)」は相手に対し攻撃性の無いこと、相手への恭順性、を表現します(→「うや(礼・敬)」「ゐや(礼・敬)」の項)。「うちうや(打ち礼・打ち敬)→うた」「うちゐや(打ち礼・打ち敬)→うた」すなわち、相手に対し攻撃性のないこと、相手への恭順、を現実化する、表す、とは、挨拶です。「うやうち(礼・敬打ち)」「いやうち(礼・敬打ち)」と言った場合、その動態を表現しますが、「うちうや」「うちゐや」は表現されたその内容を表現します。挨拶とは言っても、親しい関係の者同士が偶然出会い、近況や状態をたずね合うようなものではなく、双方が双方を、あるいは一方が他方を、見て知っている程度の関係はあっても、それ以上の親しい関係は無い場合に、とりわけ男と女の間で、一方が他方に(つまり、男が女に対し、女が男に対し)、相手に受け入れられ好感をもたれようと相手に向けられ行う挨拶です。これは基本的には言語行為であり言語表現ですが、日常的な対話、会話にはない、相手との距離感があり、その言語的成功は見通すことのできない不安な、不安定なものであり、表現内容にも工夫があり(ときには、なんとか思いを届け心を通わせようと工夫に工夫を凝らした技巧があり)、その表現方法にも緊張や高揚があります。後には、五七五七七句調の、いわゆる和歌、も「うた」と言い、音楽的に表現される言語表現も一般に「うた」と言います。
「畏(かしこ)みて仕(つか)へ奉(まつ)らむ拝(をろが)みて仕(つか)へまつらむ歌(うた)づきまつる」(『日本書紀』歌謡102:「うたつき」は「歌調」でしょう。歌の献上品、のような意で「まつる」が、献上する、のような意。「万調(よろづつき)奉(まつ)るつかさと 作りたる…」(万4122:「つかさ」は積まれ山をなした状態を意味します))。
「『御船(みふね)より………』と言ふ。このことばのうたのやう(様)なるは、楫取(かぢとり)のおのづからのことばなり」(『土佐日記』)。