「うそアンくさい(嘘案臭い)」。語末の「くさい(臭い)」は、それが感じられる、ということですが。「うそアン(嘘案)」が感じられるとは、嘘(うそ)をついている、という意味ではなく、その「案(アン):考え、思い」、その人に感じられるその案(アン)、に、嘘(うそ)がある、そしてそれだけでもなく、誤謬・間違いがある、という意味も含まれます。つまり、信用できない、全面的に信をおくことはできない、ということです。その場合、「うさんくさい」と言われたその人が完ぺきにそれを信じ全く嘘をついていなかったとしても、その「案(アン)」はうさん臭かったりもします。「うさんに思ふ」(全面的に信をおくことはできない印象を抱く) や「うさんな人」(うさんに思われる人。あやしい、全面的に信をおくことはできない人)という表現もあります。「案(アン)」の原意は読み書きをする台、すなわち机であり、そこで読み書きする内容、考え、思い、感じること、それらすべてが「案(アン)」です。「案(アン)じる」はそれらをすること。すなわち「うさんに思ふ→嘘案に思ふ」は、嘘が案じられる状態で思ふ、ということ。「うさんな人」は嘘が案じられる(思われ、感じられる)人。「胡散(ウサン)」は当て字(「ウ」は「胡」の唐音であり「胡」は中国における北方の異民族)。「烏散(ウサン)」という表記もあります。「なを胡散(うさん)成(なる)者也。重而(かさねて)せんさくすべし」(「浮世草子」)。
ついでに「うさゆづる」の語源
「うせはりゆづる(失せ張り弓弦)」。「り」は消音化した。「ゆづる」は「ゆみつる(弓弦)」。「うせはりゆづる(失せ張り弓弦)→うさゆづる」は、弓の弦(つる)が切れて失せたときに張るための予備の弦。この語は『古事記』や『日本書紀』にあります。