「うきこ(浮き子)」。「き」は無音化した。「うきこ(浮き子)→うこ」は、軽々しい、軽率な、考えのないもの、の意。

「吾(あ)が心しいやうこ(于古)にして」(『日本書紀』歌謡36:これは「我(わ)が心しぞいやをこ(袁許)にして」(『古事記』歌謡45)の「をこ」とは別語※)。

 

※ この『古事記』歌謡45(「をこ」の方)と『日本書紀』歌謡36(「うこ」の方)は非常によく似た歌ですが(『古事記』の歌に「ひしがらの」はない)、歌としては『古事記』の方が整っており、『古事記』の歌は天皇(応神天皇)の歌と思われ、『日本書紀』の歌はその息子たる太子(仁徳天皇)の歌と思われます(そこにある「報歌」とはそういう意味でしょう)。「うこ」(日本書紀にあるそれ)は、軽率な者、であり、「をこ」(古事記にあるそれ)は、愚か者、であり、『古事記』では天皇が、いゃあ、バカだった、と自分を笑うような状態になっており、『日本書紀』では太子が、軽率でした、と反省している状態になっているわけですが、これは伝承の混乱(あるいは『日本書紀』編集者の誤解)でそうなっているということでしょう(『日本書紀』の編集者が天皇を「をこ」(何の役にもたたない者。愚か者)と表現することを避けたのかもしれません)。

 

(参考)

(古事記)「堰杙(ゐぐひ)打(う)ちが刺(さ)し(障し)ける知(し)らに 蓴(ぬなは)繰(く)り延(は)へけく知(し)らに 我(わ)が心しぞいやをこ(袁許)にして 今(いま)ぞ悔(くや)しき」(『古事記』歌謡45)。

(日本書紀)「……蓴(ぬなは)繰(く)り延(は)へけく知(し)らに……堰杙(ゐぐひ)築(つ)く川俣江(かはまたえ)の 菱殻(ひしがら)の刺(さ)しけく知(し)らに 吾(あ)が心しいやうこ(于古)にして」(『日本書紀』歌謡36:「ひしがら」は「菱茎」(菱の茎(くき)とする説もある))。