◎「うけがひ(肯ひ)」(動詞)
古くは「うけがへ(肯へ)」という動詞がありました。「不肯受 ウケカヘス」(『類聚名義抄』)。これは「うけけあへ(受け、気和へ)→うけがへ」。他の要望的意思を受け、その思いや意思として感じられる「け(気)」をそれに合溶させる(一体化させる・和(あ)へる)こと。肯定したり承諾したりし、自分もその意思であることを相手に感得させます。これは動詞として成熟し活用語尾が主動的にI音化し「うけがひ(肯ひ)」になります。「天皇うけがひ給はず」(『神皇正統記』:これは四段活用)。この「気(け)を和(あ)へる」という表現は「がへんぜず」 (承諾しない)という表現にも影響します(この「がへんぜず」は漢文訓読系の特殊な表現です)
◎「うこ」『古事記』歌謡45と『日本書紀』歌謡36
「うきこ(浮き子)」。軽々しい、軽率な、考えのないもの、の意。「吾(あ)が心しいやうこ(于古)にして」(『日本書紀』歌謡36:これは「いやをこ(袁許)にして」(『古事記』歌謡45)とは別語(下記※))。
※ この『古事記』歌謡45(「をこ」の方)と『日本書紀』歌謡36(「うこ」の方)は非常によく似た歌ですが(『古事記』の歌に「ひしがら」はない)、歌としては『古事記』の方が整っており、『古事記』の歌は天皇(応神天皇)の歌と思われ、『日本書紀』の歌はその息子たる太子(仁徳天皇)の歌と思われます(そこにある「報歌」とはそういう意味でしょう)。「うこ」(日本書紀にあるそれ)は、軽率な者、であり、「をこ」(古事記にあるそれ)は、愚か者、であり、『古事記』では天皇が、いゃあ、バカだった、と自分を笑うような状態になっており、『日本書紀』では太子が、軽率でした、と反省している状態になっているわけですが、これは伝承の混乱(あるいは『日本書紀』編集者の誤解)でそうなっているということでしょう。『日本書紀』の編集者が天皇を「をこ」(何の役にもたたない者、愚か者)と表現することを避けたのかもしれません。