「をゐから(緒居族)」。「をゐ」が「う」になっている。「を(緒)」は血族關係やその關係にある人を意味する→「いも(妹)」の項(3月17日)参照。「から(族)」は属性を同じくすること・ものを表現する→「から(族・柄)」の項参照。「をゐから(緒居族)」→「を(緒)」の「ゐ(居)」、すなわち血族関係の存在、に属性を同じくしていること・もの(人)、とは、血族・親族です。「うがら」と濁音化もします。

「族(うがら)也(なり)。吾(われ)を勿(な) 看(み)ましそ」「不負於族 此をば宇我邏磨(うがらまけじ)と云ふ」 (以上『日本書紀』:伊弉諾尊(いざなきのみこと)が黄泉(よみ)へ行き伊弉冉尊(いざなみのみこと)に会った際の第四の一書)。この部分では、黄泉のイザナキはイザナミのいる所にいたり。イザナキが『お前をかなしいと思うから来た』と言い。イザナミが『うがらです。私を見ないで』と言い。しかしイザナキは見てしまい。イザナミが『あなたは私の「情」を見た。私もあなたの「情」を見る』と言い。イザナキは慙(は)ぢ。出で返ろうとし。ただ黙っては帰らず。「族離」を盟(ちか)い言い。また、『不負於族(うがらまけじ)』と言ったといいます。族(うがら)であるがゆえに見てはならないこともあり、それを見て族(うがら)に恥をかかせてはいけないということでしょうか。また、族(うがら)が離れ族(うがら)は決して負けない、決してまけることなく維持される、とは、族(うがら)は個人の関係より大きいということでしょう。

「訪(と)ひさくる親族(うがら)兄弟(はらから)無き国に」(万460:「とひさくる」は、訪い、心が晴れる、のような意)。