「うかとゐ(うかと居)」。「とゐ」が「つ」の音(オン)になっています。「うか」は「うっかり」などのそれ(→「うか」の項・4月13日)。「と」は思念的に何かを確認する助詞。「うかとゐ(うかと居)→うかつ」は、「うか」とした状態で居る、の意。つまり、「うっかりたる居(ゐ)」のような意です。環境への感知力、その働き、が空虚になっていること、注意や警戒心が喪失している状態にあること、を意味します。「迂闊」という表記は意味の異なる他の漢語による当て字。「迂闊(ウクヮツ)」という漢語はあるのですが、これは現実的効果が失われているほどまわりくどく婉曲的であることを意味します。日本語の「うかつ」とは意味が異なります。「迂闊之論」は、軽率・かるはずみな論ではなく、あまりに婉曲的、遠回しな論であり、現実に即さない論。迂遠(ウオン)な論(「迂闊(ユィクオ)」という語は、格式張った語ではあっても、現代中国語にもあり、意味は同じです(現代中華人民共和国では字は簡体字))。日本語の「うかつに手は出せない」は、うっかりと、軽率に手を出すことはできない、を意味します。婉曲的に、遠回しに手をだすことはできない、は意味しません。
「又例の図ない迂闊をせられたよと思て」(『史記抄』)。「聞及んだる強力者うかつには踏込れず」(「浄瑠璃」)。「我に不利なると知りて之を避けず、我に害ありとしりて之を採るは、わざわざ荊棘(ケイキョク:イバラのように刺(とげ)のあるもの)を繁茂させて、前途を塞がんとすると一般。随分べらぼうな迂闊なはなしだ」(『当世書生気質』坪内逍遥:この 「迂闊」を漢語の迂闊と解釈している辞書もあります。しかし、害ありと知りながらそうするのは現実的効果が失われているほどまわりくどいやり方だ、は意味として奇妙です。これは注意や警戒が喪失している、という意味)。