「う」はその空虚感による擬態表現。この「う」は「うせ(失せ)」のそれと同じであり、注意や警戒心が喪失していることを表現します。「か」は「ひかり(光り)」の「ひか」や「ふかふか」「むかむか」その他にあるような、K音の気づき感をA音の全体感で情況的に表現したもの(下記※)。つまり「うか」は注意や警戒心が喪失している情況にあること。「うかみ(窺見)」(斥候やスパイのようなもの)、動詞「うかねらひ(うか狙ひ:うか、の状態を狙うこと。狩人がそこを狙って獲物をとったりする)」、「うかと」、「うかり(うっかり)」。「うか」が二度重なり持続が表現された「うかうか」という表現も多い。

「天下も静かならず。御悩みも一かたならず。世の中はうかうかとして年もくれぬ」(『椿葉記』:世の中は不安定で安定していない)。

「胆(きも)をつぶしてうかとしてゐるなり」(『蒙求聴塵』:呆然としている)。

「近江(あふみ)の京(みやこ)より倭(やまと)の京(みやこ)に至るまでに、処処(ところどころ)に候(うかみ)を置けり」(『日本書紀』)。

「この丘に小牡鹿(をじか)履(ふ)み起(た)てうかねらひ」(万1576)。

 

※ K音の交感による気づき感とA音の全体感により、気づきの、全体感による情況感が表現されます。気づきとは理性的な客観性を帯びた自覚です(つまり、自覚それが交感。対象たるものごととの交感。子音K音ではそれが起こるということです)。