◎「うか(神格)」
「うくら(受くら)」。「ら」のR音は消えその母音により「ら」は「か」になった。「うく(受く)」は終止形。動詞「うけ(受け)」による「受くら」という受容動態それ自体が情況として表現された表現。「うけら(受けら)」→受けた・受けている情況→受けた・受けている情況にあるもの・こと、ではありません。「うく(受く)」という動態そのものを情況化・一般化した表現。受容の情況にあるもの・こと、そうした情況にあるもの・こと、すなわち、もたらされるもの・こと、収穫物・産物、を表現し、また、それらをもたらす力、力の源(みなもと)、を表現し、その主体への神格化も起こります。「幸(さち)」をもたらす神です。また、物的幸(さち)は倉に保管され、倉に坐す神の印象にもなる。「うかのみたま(うかの御魂)」「うかのかみ(うかの神)」。後には福の神にもなり、稲荷(いなり)との関係も生じます。関係が生じるというよりも、「うか」が一般的な幸(さち)の神であるのに対し、「いなり(稲荷)」は、稲作やその産物が納められる倉という環境において、その「うか」が具現化した世界の信仰です。「いなり(稲荷)」は幸(さち)がもたらされることを表現したものであり、神名ではないでしょう。稲荷信仰においても神名は「うか」でしょう。
「倉稲魂 此をば宇介能美拕磨(うかのみたま)と云ふ」(『日本書紀』:スサノヲノミコトが追放された後の第七の一書)。