進行感を表現する「い」の他動表現。この「い」は「いり(要り)」と同じ客観的な情況での進行を表現します。つまり「いれ(入れ)」は「いり(入り)」の他動表現ではないということ。むしろ「いり(要り)」の他動表現(「いり(入り)」「いり(要り)」に関しては330日)。すなわち「いれ(入れ)」は、何かを物や情況や作用のそれと同動させること、動態としてそれと同化した部分にすること。「いり(要り)」の「い」は「いき(行き)」の「い」と同じと考えてよく、「AをBにいれ」は、AをBに同動的に、同化的に、進行させ、ということであり、単に「Aをいれ」はAを同動的に、同化的に、進行させる、Aをそのように作用進行させる、ことを言います「力をいれ」。「茶をいれ(淹れ、とも書く)」は、茶を嗜好的(薬品として飲んだ人もいるかも知れませんが)飲料の茶としてのものごとへ入れその構成とする、その構成を完成させる(入れ立て、の状態にする)ということ。

「(玉を)家づと(家への土産(みやげ)のようなもの)に妹にやらむと拾(ひり)ひとり 袖にはいれて 帰しやる使(つかひ)なければ…」(万3627:古く、「ひろひ(拾ひ)」と「ひりひ(拾ひ)」は同じような頻度で用いられています)。

「いはけなきほどより学問に心をいれて侍(はべ)りしに…」(『源氏物語』)。

「御註文の品を御覧に入れませう」(「歌舞伎」)。

「庭の手入れ」。「いれもの(容器)」。「いれさく(入れ作):江戸時代、土地を借り時代を払って農作をすること(下記※)」(「いりさく(入り作)」は、他村の者が入ってきて農作すること。その逆は出作(でさく))。

 

※ これは「小作(こサク)」と言われるものですが、この「小作(こサク)」という語は同じことを土地所持者の側から表現したものらしい。「小作と云は自分所持の田畠を、居村他村たりとも他の百姓へ預け爲作(つくりなし)……………元来佃(つくだ:平安初期以来の荘園領主直営農地)とか云ものなれども、世俗小作と唱(となへ)来る」(『地方凡例録(ぢかたハンレイロク)』)。