◎「いましめ(戒め)」(動詞)
「いみ(忌み)」の、使役の助動詞「~しめ」による「いましめ(忌ましめ)」の独律動詞化。忌むことをさせる、の意。積極的に謹むことをさせることが人を縛ったりどこかに閉じ込めたりすることを意味することもあります。
「自らいましめておそるべく慎むべきはこのまどひなり」(『徒然草』:これは女の色香(それによるまどひ)に気をつけろ、というような一文)。
「(西光は)日のはじめより根元(コンゲン:根本的な)与力(ヨリキ:助勢(下記※))の者なりければ、殊につよういましめて、坪の内にぞひっすゑたる」(『平家物語』:始めから謀反の中心的存在だったので厳重に縛り上げ監視・監禁状態においたということ)。
◎「いましく」
「いましきいゆ(『今為』来、癒ゆ)」。今している(現実にそうしている)、という状態が来(き)(現実にそうなり)、心が癒える(満たされる)、の意。『万葉集』・1103にある表現。
「いましくは見めやと思(も)ひしみ吉野の大川淀を今日見つるかも」(万1103:「かも」は詠嘆:現実に見て心が満たされるという状態で見るだろうかと思っていた吉野の大川淀を今日見た)。
似たような表現が『続日本紀』宣命に「いましきの間は念(おも)ひ見定めむ」とあり、この「いましき」は「いましき(今為来)」。「いましきの間」は、今(いま)、為(し)来(き)ているその間、現状の間。
これらの用例によって、シク活用の形容詞「いまし(今し)」があるとも言われ、そう書いてある辞書もありますが、それはありません。
◎「検事」や「弁護士」の歴史について少し
※ この「与力(ヨリキ)」という言葉は、江戸時代には奉行に仕えるその補佐役を表現する語になります。町奉行(裁判官)を補佐する与力は明治以降は検察官(検事)になっていきます。江戸時代には与力の下に同心・岡っ引き(目明し)といった人たちがいました。ちなみに、裁判(民事が主の印象ですが、江戸時代の裁判は民事・刑事の厳格な峻別はないです)の代理人たる弁護士は江戸時代にもおり、これは「公事師(くじし)」と言われ、人に起こった厄介ごと・不幸ごとで銭(ぜに)を得る者としてあまり尊敬はされていませんでした。明治以降の裁判代理人は一時「代言人(だいげんにん)」と言われ(明治九年「代言人規則」:「三百代言(さんびゃく(安物の意)だいげん)」の語源)、これも尊敬されていませんでした。現代の弁護士は基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命としているそうです(弁護士法にはそう書いてあります)。