◎「いなをかも」
「いなおふかも(否覆ふかも)」。「かも」は「かも(助)」の項。この場合の「か」には相手に「いな(否:否定感)」が覆(おほ)ふこと、そうなるのではないのではないか、という思いがわくこと、への疑惑感があります。否定感がわくのではないかという疑惑感です。最後の「も」は詠嘆。全体は、本当か?と思うかもしれないが、信じられないかもしれないが、のような意味です。あなたに『いな(否)』が覆うか、まあ…(詠嘆)、ということ。
「相(あひ)見ては 千歳(ちとせ)や去ぬる いなをかも 我や然(しか)思(も)ふ 君待ちかてに(あなたを待ちきれず。「かてに」はその項)」(万2539:会ってからもう千年もたったのだろうか。信じられないかもしれないが。そう思っているのは私だけか。あなたをまちきれず)。
◎二つの「いなり」(動詞)
・「いなり」(動詞)
「いなはり(い縄り)」。「い」は進行感・連続感を表現します(10月(去年)9日)。そして「なは(縄)」の動詞化。連続進行的に縄の情況にあること。すなわち、連連と連なるように何か・何者かが沢山・多数いること。『古事記』にある表現です。「尾(を)生(あ)る土雲(つちぐも)八十健(やそたける)、その室に在りて待ちいなる」。
・「いなり」(動詞)
「いにねはり(去に音張り)」。「いにね(去に音)」は遠く去っていく響き、その響きが口から出されていればそれは声。「いにねはり(去に音張り)」は遠くへ去っていくような、遠くまで届くような声を響かせること。去りながら音(ね)を張るわけではありません。「御末を通られけるとき、『旁(かたがた)は敵を指し置きて、爰(ここ)には…』といなりいなり出でらる」(『応仁別記』)。「鑓(やり)を二三りうりうと打振て、いなって突かかりしかば」(『太閤記』)。