「いつをま(「'常・普段'を」間)」。「いつを('常・普段'を)」に関しては「いとなみ(営み)」の項(1月30日)。「いつをま(「'常・普段'を」間)」は、「いつを('常・普段'を)」と思う間(ま:時空域)、「いつを('常・普段'を)」と思うことによってある間(ま:時間域)。これは「いつを(特別なことから離れ普段を)」と思うことによって生じる間(ま)、すなわち特別従事から離れ、その労から離れた間(ま)。これが、仕事を息(やす)む間(ま)、休憩や休暇、何かの事から離れること、なども意味します。「いとまを乞う」が奉公をやめることなども意味し、夫婦において「御(お)いとまをいただきます」が、離縁させていただきます、を意味したりもします。「いとまなく」は「いつを」と思ふ間なく忠実に何かが続行しています。

「ももしきの大宮人はいとまあれや梅をかざしてここに集へる」(万1883:集まっているのは暇があるからか?ということですが、言いたいことは、そうではない、これは大宮人がなさねばならないことなのだ、ということでしょう)。

「まかでなむとし給ふをいとまさらに許させ給はず」(『源氏物語』:これは、宮中を離れ里へ帰ることを許さなかった)。

「いとまなく海人(あま)の漁火(いざり)はともしあへり見ゆ」(万3672)。