動詞「いとひ(厭ひ・庇護ひ)」のように、形容詞「いとほし」にも二種あります。
・ 「いとひおひおひし(厭ひ生ひ生ひし)」。いかにも厭(いと)ひ(嫌だという思い)が起こるものだ、厭ひが起こることに何の問題もない。「人の上を難つけ、落しめざまの事いふ人をばいとほしきものにし給へば」(『源氏物語』)。「あしき事を見聞くは、せん方なくいとをしきわざなれば」(『栄花物語』:歴史資料は必ずしも正しい仮名遣いで書かれてはいません。特に「ほ」と「を」などそうです)。
・ 「いたおひおひし(痛生ひ生ひし)」。いかにも心痛が、胸の痛みが、起こってしまう。「(乳母に抱かれた幼宮が)御めのとの懐(ふところ)をひきさがさせ給ふに、うちとけて寝たるときなどは、何心もなくおぼほれておどろく(目を覚ます)も、いといとほしく見ゆ」(『紫式部日記』)。「熊谷あまりにいとほしくて、いづくに刀を立つべしとも覚えず」(『平家物語』)。「いとをしの有様やと亡骸(なきがら)に抱付き前後も分かず泣給ふ」(「浄瑠璃」)。「いとし(愛し)」(形シク)という形容詞はこの後者の「いとほし」の「ほ」が無音化したものです。その場合の胸の痛みは愛らしさによっても起こっています。
「いとほしみ」という動詞はこの形容詞「いとほし」の動詞化であり、意思動態的に「いとほし」という状態になることを表しますが、ここにも意味の二種があり、それを駆逐したい・嫌だという意思の表れのそれ(「朕(チン)が劣(をぢ)なき(私の慎重さのない軽率さ)によりてし、かく言ふらしと念ほし召せば愧(はづか)しみいとほしみなも念(おも)ほす」(『続日本紀』宣命))と、胸が痛みそれを庇(かば)ってやりたいという意思の表れのそれ(「我のみぞ我が心をばいとほしむ」(『山家集』)、「去り行く春をいとおしむ」)があります。
動詞「いとひ」には「厭ひ」と「庇護ひ」があり(1月31日・昨日)、対応する形容詞「いとほし」、その動詞化「いとほしみ」にも対応した二つの系統があるので弁(わきま)えていないと混乱するということです。