◎「いで」(1)

「ぬひいで(~ぬ秀で)」。「ぬ」は否定。そのN音は「ひい」に吸い込まれるように消えました。たとえば「行かぬひいで→いかんいで→いかいで」(行かずに)という変化。「ひいで(秀で)」は特徴的に現れること。「~ぬひいで(~ぬ秀で)→~いで」は、何かをしないことが特徴となって、の意。「いとまごひも申さいでまかり帰り」(いとまごひも申さずに帰り)。室町時代に現れた表現です。「この巫女(みこ)はやうがる巫女よ。汗袗(かたびら)にしりをだにかかいでゆゆしう憑(つ)き語る」(『梁塵秘抄』:「ヤウがる(様がる)」は、特異・特徴的、のような意。「汗袗(かたびら)にしりをかく」は、動詞「かき(懸き・掛き)」が「櫓(やぐら)をかき(組み)」と同じように用いられ、腰の部分に汗袗(かたびら)がかかっている状態になることでしょう)。

 

◎「いで」(2)

「いづちへ」。「いづち」は方向に関する不定感・不明感を表現します(「いづち(何方)」の項・1月15日)。「へ」は助詞であり、動態の経過を限定します(つまり、目標を表現します)。つまり、全体は、方向、目標が不明・不定であることが表現されており、どの方向へ、どこへ、のような意味です。この表現が、どこへ向かおうというのか(他に道はない)、と、なにごとかを確信的に促したり(1)(2)、どこへ向かおうというのか(どうなってしまうのか)、と、起こっている事態への嘆きを表現したり(まれにはただ感動を表現したり)(3)、どこかへ(話変わって。さて)と、話題を転換させたりします(4)。

(1)「汝(な)をと吾を人そ離(さ)くなるいで吾(あが)君人の中言(なかごと)聞きこすなゆめ」(万660)。「『いて。君も書い給へ』とあれば…」(『源氏物語』:さぁ、あなたも書いてごらんなさい、(と誘いが)あるが…)。

(2) 「『いで。見む』」(『源氏物語』:よし、さぁ行って見よう。これは自らを促しています)。

(3)「いで、あなあぢきなの物あつかひや」(『源氏物語』:どうなってしまうんだ、というような思いです)。

(4)「いで。その頃は元禄元年...」(「謡曲」)。

永嘆の「や」がついて「いでや」とも言います。

「いで何(なに)に ここだ(こんなに)甚(はなは)だ 利心(とごころ)の 失(う)するまで思(も)ふ なに(何・汝に)恋(こ)ふる故(ゆゑ)」(万2400:これは(3)の例。二番目の「に」は前音に吸収されるように書かれませんでした(下記原文)。第五句の「なに」は「何(なに)」と「汝(な)に」(あなたに)がかかっています。しかもこの「何(なに)?」は原文では表記されていません。原文の五句は単に「恋故」と書かれているだけです。この歌は「何(なに)」と「汝(な)に」がかかっているという点がポイントです。ちなみに、古くは「Aを恋ひ」ではなく、「Aに恋ひ」という言い方をしました。さらにちなみに、万2400をこのように読んでいるのはここだけです。一般にはこの歌(特に五句)はこのような読み方はなされていません。原文も記しておけば、「伊田何 極太甚 利心 及失念 恋故」)。五句はたとえば「恋ふらくのゆゑ」と読まれたりしています。しかし、恋をしているから私は利心(とごころ)がなくなってるんですね、と書いて恋をしている相手に渡し恋心を伝える恋文になるでしょうか。