進行感を表現する「い」による「いつ」という動詞があったと思われます→「いたり(至り)」の項(12月19日(去年))。「いつ(何時・常)」の場合、その動詞の「いつ」は言語主体の時空進行を表現します。「いつ(何時・常)」はそれによる「いてゐ(いて居)」の音変化。「てい」が「つ」の音になっています。「いて」は上記「いつ」の、客観化された対象一般を主体とする自動表現。客観世界の進行、とでもいうようなもの。「いてゐ(いて居)」は客観化された対象世界が進行するその「ゐ(居)」・その有り、が表現されます。その場合、想化・思念化し(つまり一般的に)進行すれば(その進行が一般的であれば)その「居(ゐ)」・有りは「常・普段」の有りを表現し(A)、現実化し(つまり個別的・具体的・特定的に)進行すれば(その進行が個別具体的であれば)その「居(ゐ)」・有りは「何時」の、過去や未来の(ただ進行している)不定時の、有りを表現します(B)。
(A) 常・普段。「これはいつよりも早く縫はれよ」(『落窪物語』:いつも、普段、よりも早く縫ってくれ)。「梅の花いつは折らじと厭(いと)はねど...」(万3904:普段は折らなくてもなんとも思わないが...)。「あなたはいつもそうよ」。
(B)何時。「いつ来まさむと問ひし子らはも...」(万3897:いつお帰りになるのですかと問ひし子らは...)。「あたしがいつそう言ったの?」(過去の不定時)「いつになったらやるの?」(未来の不定時)。「いつのまにか(何時の間にか)」。