「イヂしけ(意地しけ)」。「イヂ(意地)」は、思いや考えが生じる根底・基礎です。人間性の根底、のような意味 (「意地を張る」「意地が悪い」「意地汚い」等)。この「イヂ(意地)」という語は当初は仏教用語として用いられたようです(下記※)。「しけ」は、「しけ糸(いと)」などという言葉もあり、粗末なつまらないもの、という意味もあり、ここでもそれは影響しているのではありましょうが、主にここでは、「しけ(風気:風の強い状態)」になると漁師が漁に出られず景気が悪くなり生活が不活性化したつまらない状態になるという意味で、そうした状態やそうした状態になることを「しけ」と言い、これが動詞化もしているそれがこの場合の「しけ」。つまり「イヂしけ(意地しけ)→いぢけ」は、「いぢ(意地)」(人間性の根底)が上記のような意味での「しけ」た状態になること。人が自我状態として不活性化した粗末な状態になること。表記は「いじけ」にもなりそうであり、そうした表記もありますが、「いぢ」へ向かっていくのは「イヂ(意地)」の意味が強く働くからでしょう。

 

※ 眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識に末那識(まなしき:これは意識がなくなっても働き自己愛と迷いの根源だそうです)・阿頼耶識(あらやしき:これは宇宙万有の基体だそうです)を加えた八識の第六識・意識の基底が「意地(イヂ)」。