◎「いぢり(弄り)」

「いんぢいいり(印地射入り)」。「ん」「いい」は無音化しています。「いんぢ(印地)」は石による合戦であり、川原などで子供たちが集団で行う遊びでもありました(室町時代に年中行事的に相当に広まったといいます)。この「いんぢ」の原意は「いぬうち(犬撃ち)」でしょう。古くは野犬、特に野犬の群れ、は相当に恐ろしいものであり、これを石で撃退した(「印地」は上記石合戦が陣取り合戦のような印象であったことによる当て字)。「~いり(~入り)」は、「恐れ入り」「驚き入(い)り」などのように、まったくその動態になることであり、「いいり(射入り)」は、射る動態に入りそれに全く無反省な状態になること。「AをいんぢいいりAをいぢり」は、Aを印地に射入り、印地の情況で射る動態に入り(それに夢中になりそれに反省が働かない状態になり)、という表現です。つまり、「いぢり(弄り)」は、印地で他者を石で射る(他者に石をぶつける)ような動態をすること、他者にそのように動態をしかけること、干渉すること、です(「いぢり」は、特に、手先・指先で何かに触れある程度の持続性をもってこれに干渉することを意味する印象が強いですが、それはそうした動態が人間に日常的に頻繁に現れるからです)。一般的に射ること(干渉すること)と印地に射ること(干渉すること)はどう違うのかといえば、印地のそれは獲物を獲ったり敵を倒したりするわけではなく、それに備えた練習や演習でもなく、遊戯だということであり、射られる(干渉される)者は原因も社会的必要性もなく(つまり何の予想もなく思いがけず唐突に、そして何の意味もなく)射られる(干渉される)。そうした動態に入っているということは、射られた者、干渉された者には、その動態やその主体に対する、その原因の不存在性ゆえに生じる当惑・困惑した不愉快さゆえの執拗性(病的なものになれば偏執性)・しつこさも感じられます。「何にても芸をせよといぢる」(『好色一代男』)。「腰ぬけて鬼婆々となって嫁子をいじり」(「浮世草子」:「いびり」と同じような意味で言われています)。「なぶる 手にてなれふるるなり 関西にて、いらふと云、東国にて、いぢる 又 いびる といふ」(『物類称呼』:「なぶる」「いぢる」「いびる」がすべて同じような意味の言葉として扱われています)。この「いぢり(弄り)」の語源は「いぢめ(苛め)」の理解に必須です。

 

◎「いぢくり(弄り)」(動詞)

「いぢりくり(弄り繰り)」。「り」の脱落。「いぢり(弄り)」は上記。「くり(繰り)」は手前に引くような動作をすることですが、動作反復の印象もあります。つまり「いぢくり(弄り)」は、「いぢり(弄り)」反復すること。「いぢくりまはす(弄り回す)」という言い方もします。