「いたつら(板連)」の連濁。「いた(板)」の語源は12月15日。「つら(連・列)」は同動の情況を表現します。板が連なっているのではありません。板に連(つ)れる(同動する)。板に連れる(同動する)情況、そうした情況にあるもの・こと、です。板沿いに進行するような情況にあることを表現します。その板は平(たひら)で特に認める何かは何もありません。そうした、何もないこと。何らかの意味や価値としても何もないこと。それが「いたづら(徒・戯)」。
「時の盛りをいたづらに過ぐし…」(万3969:とりたててこれといったことも何もせず何もなく過ごし)。
「入江のいたづらなる洲(す)」(『更級日記』: なにもない、そして特に何かの役に立っているというわけでもない、洲)。
「かかる雨にきたるを、いたづらにてかへすな」(『落窪物語』:何もなしに徒労で終わらせて帰すな)。
そうした、何らかの意味や価値としても何もないと評価される、つまり、何も意味や価値を生み出さないと評価される行為も「いたづら」。人は快楽としてそれを行う、さらにはそれに耽る、こともあります。耽ることは性的快楽に誘引される場合が多い。「若気の至に源次郎様と不義、淫行(いたづら)」(『怪談牡丹燈籠』)。そうした無意味無価値な行為が他者に迷惑感や抵抗感を生じさせれば「悪戯」と書かれたりもします(たとえば幼児の)「いたづら」。