「いそ」は「いそいそ」にあるそれ(12月12日)。その動詞化。何事かに専心し邁進していることを表現します。専心により作業時間・努力時間が短くなりもします。しかし、それは結果としてそうなるのであり、「いそぎ」という動詞は、元来は、作業時間・努力時間を短くすることを表現するわけではなく、何かに専心していることを意味します。

「『今は、かかるかたざまの御調度どもをこそは』と思せば、年の内にと、急がせたまふ」(『源氏物語』:「急がさせ給ふ」という原文もあります。いずれにしても、中宮のための尼僧用の様々な調度をおそろえになった(使役ではない)。これは、急がないと遅れそうだ、というよりも、それに専心した)。しかし、専心により作業の急速性は感じられ、「いそぐ」は急速であることを意味するようになります。「時間がないので急(いそ)いだ」。将来予定していることの進行に専心すれば、それは準備になります。「たゆまるるもの(気が緩み怠りがちになるもの)、精進の日のおこなひ(仏教の勤行)、遠きいそぎ(ずっと先のことの準備)」(『枕草子』)。「御仏名はててつごもり(月末)になりぬれば、正月の御さうぞく(装束)いそぎ給ふ」(『宇津保物語』:これも、手遅れになりそうなので慌てたわけではありません。それに専心した、準備した、ということです)。

 

・ 他動表現は、「沸(わ)き→沸(わか)し」のような変化で、「いそがし(急がし)」。しかし「場内を沸(わ)かせ」「人を急がせ」という使役表現もあります。

・ 形容詞の「いそがし(忙し)」は、「いそぎああし(急ぎああし)」。「ああ」は様々な心情がこめられた感嘆発声。急ぎ、嘆声が出る状態であることを表現します。「いそがはし(忙はし)」という形容詞もあるのですが、これは「いそぎ(急ぎ)」に、「乱(みだ)りがはし」などの、「~がはし」がついているものです。