「いそあやゆおひ(磯文ゆ追ひ)」。「ゆ」は経験経過を表現する助詞。手段や方法なども意味します。「徒歩(かち)ゆ行く」は徒歩で行きます。「いそあや(磯文)」は、磯に寄せては返す波の、回り寄せては返りまたほかへ寄せまた返り…といった複雑な、そして同じ域を様々にめぐっているような、文(あや:複雑な軌跡)。そんな軌跡を描くような動きでなにかを追っているような印象であることが「いそあやゆおひ(磯文ゆ追ひ)→いざよひ」。つまり、複雑に動き回っているが同じ域を漂(ただよ)い順直に効率よく進まない動き、活発に動いているがあてもなく漂い同じ域を廻(めぐ)っているような動き、です。これは古くは「いさよひ」と清音でした。「網代木にいさよふ波の行方(ゆくへ)知らずも」(万264:「も」は詠嘆)、「きみやこむ我やゆかんのいさよひに…」(『古今集』)。「いざよひ(十六夜)の月」は、月がそのような動きになるのではなく、月の出を待つ人々がそうなるということ(満月の翌晩は月の出が少し遅くなるので、待ちかねて、動きに落ち着かない動揺が起こります。立ったり、立って、どこというあてもなく、少し歩いたり、また戻ったり、ということが起こります)。