◎「いこよか」の語源

「いけひおほよか(生け日大よか)」。「いけ(生け)」は客観的な対象を主体とする自動表現。「いけひ(生け日)」は生きている日、の意。「よか」は、たとえば「なめらか(滑らか)」という表現がありますが、情況を表現する「ら」が内的心情化すれば「~やか」(たとえば「さはやか(爽やか)」)になり、これに対象感が生じればO音化し「~よか」になります(たとえば「ふくよか」。客観的な情況を表現すれば「~らか」になります。「おほ(大・多)」の場合、「おほらか」はありますが「おほやか」はないですね。しかし、あっても不自然さはないです)。「いこよか」の場合は対象感のある「よか」です。いかにもそれらしいということ。「いけひおほよか(生け日大よか)→いこよか」は、まさに生きた日が大きくあるような、ということ。『日本書紀』で仁徳天皇や天武天皇がそのように表現されています。「風姿(みやびすがた)いこよかにまします」。

この『日本書紀』の「いこよか」は原文の漢字では「岐」の字と山偏に「疑」を書いた字の二字で書かれますが、漢語の「岐嶷(キギョク)」は幼少のときから才知が人よりすぐれることを意味します。この「いこよか」は「いか(厳)」と同系の語(その母音交替)と解されることが一般のようなのですが、それは「岐」を「けはしい(険しい)」と解し、その漢語を「高く険しい」と解していることによるらしいです。ささいなことなのですが、これは古代の天皇観に微妙に影響を与えそうです。

 

◎語源ではないのですが、ちょっと気になったので。

ネットに「新年あけましておめでとうございます」という挨拶は新年が明けるのは変だから間違っていると言っているものがありました。

新年の挨拶は、昭和初期でも、『新年でおめでとうございます』『明けましておめでとうございます』と言っていました。

これを合わせて「新年であけましておめでとう」。「で」が省略されて「新年、あけましておめでとう」と言うことはまったく不自然さはないです。

上記のコメントはヤフー知恵袋あたりが起源なのかもしれませんが、これを言った人は挨拶の歴史を知らずにただ思いつき、世の中の人の誤りに気づいたような気分になったのだろうと思います。

来月は年末になり、ちょっと気になったので言ってみました。