「いくしほ(幾潮)」。「しほ」が「そ」になっています。「いく(幾)」はその項(11月12日)。「しほ(潮)」は機会を意味します。(海の)潮(しほ)の変化により人がやろうとしていることの自然環境が良くもなり悪くもなるからです(→「しほどき(潮時)」)。「いくしほ(幾潮)→いくそ」は、進行している機会ということですが、ある特定の機会が進行しているわけではなく、人生には幾つものさまざまな潮(機会)があります。それらとのさまざまなめぐりあい、それらをつぎつぎと経験すること、それが「いくしほ」たる機会の進行です。
「浅ましや木の下陰の岩清水いくその人の影を見つらむ」(『拾遺和歌集』:どれほど多くの数の、そして場面の、人の…)。
昨日の「いくばく(幾何)」にこの「そ(しほ:潮)」が入った「いくそばく」という表現もあります。原意的に言えば、いく(幾)・しほ(潮)・はか(努果)、わく(枠)、ということになります。どれほどの限度、のような意味になるわけですが、「しほ(潮)」と「はか(努果)」では人間や森羅万象にあるあらゆる場面あらゆるその結果が考えられています。
「その松の数いくそばく幾千歳(いくちとせ)経たりと知らず」(『土佐日記』)。
「花ごとにあかず散らしし風なればいくそばくわが憂しとかは思ふ」(『古今和歌集』464:どの花もことごとくあくことなく散らしてしまった風は、どれほど私がむなしい思いでいることを思うのか(風はそんなことは思いはしない。そんな私の思いなど全く思いもせず風は流れ吹いていく))。
「いくそたび(いくそ度)」といった表現もあります。どれほどの頻度、ということです。「蘆辺こぐ棚なし小舟(をぶね)いくそたび行きかへるらん知る人もなみ」(『伊勢物語』)。