「いくばかわく(幾努果枠)」。「いくばかく」のような音を経つつ「か」は無音化しました。「いく(幾)」は程度や量の変動進行が動態確認的に表現されています。つまり、ものごとの進行が確認されています。「ばか(努果)」は「はか(努果)」の連濁であり、努力の成果を表します(→刈りばか:刈りとる結果たる量。「はかどる(捗る)」などの「はか」です)。「はかわく(努果枠)」はその努力の成果たる(出る結果たる)「はか(努果)」に設けられた枠であり、結果として現れるものごとの限度です。「いくばかわく(幾努果枠)→いくばく」は、どれほどの物事の限度、の意。その限度の程度に感動・感嘆したりもし、失望したりもします。
「世尊、いくばくの因縁を以てか菩提(ボダイ:悟りの智慧(サンスクリット語))と心を得る」(『金光明最勝王経』:その因縁の深遠さに感銘しています)。
「わが背子と二人見ませばいくばくかこの降る雪のうれしからまし」(万1685:どれほどうれしいだろう。思われるうれしさの程度の強さ・大きさに感銘しています)。
「いくばくも降らぬ雨ゆゑ…」(万2840:さほど降っていない雨。起こっている事態に対する雨の少なさに失望しています)。
「御随身(みズイジン)、舎人(とねり)して(石を)取りにつかはす。いくばくもなくて持て来ぬ」(『伊勢物語』これは時間的長さ(というよりもかかった日数でしょう)の限度を言っています。もっと時間がかかると思ったが簡単に持ってきた、ということでしょう)。