「いくしや(生風矢)」。「し」は「風(かぜ)」の古語。「いく(生)」は、数日前に触れましたが、その項。「いくしや(生風矢)→いくさ」は、生きている(生命のある。それほどに生き生きとした勢いのある)風(かぜ)のような矢、ということであり、射られたその状態にある矢を表現したもの。そしてそうすること、そのような矢を射ること、を意味します。「いくさ」という言葉はもともとは矢を射ることを意味しています。さらに発展し、それをする人、矢を射る人(兵:「いくさひと」という語もある)、矢を射あうこと(合戦)、も意味するようになりました。「いく(生)」という語は、生きている、という意味なのですが、神の世のことが現実のこととなるような意味合いがあり(→「いく(生)」の項)、「いくしや(生風矢)→いくさ」も、原意的には、神の風が現実に現れているようなもの、といった、射られた状態にある矢に対する一種の美称のように言われたものでしょう。

「射(いくさ)習ふ所を築く」(『日本書紀』持統天皇三年七月)。これは矢を射ることの意。

「千万の軍(いくさ)なりとも」(万972)、「勇みたる猛(たけ)きいくさ(軍卒)と…」(万4331)。これらは兵の意。

「これほどいくさはげしき敵にいまだあはず」(『保元物語』)。これは合戦の意。