◎「いき(息)」の語源
「い」は進行感を表現します。進行方向はこちらからあちらです。「き」は進行的気づき感を表現します。この「き」では理性的気づきと記憶化が起こります。「き(来)」と同じです。何かが来ます。つまり「いき(息)」は、こちらからあちらへの動態、あちらからこちらへの動態、ということであり、こちらから何かが行き、向こうから何かが来ます。この繰り返しが呼吸を(さらには呼吸気を)表現します。その場合、こちらからあちら(「い」)、は、息を吐いているわけではありません。そうではなく、息を吸っています。つまり、相手がいます。その相手が吸っています。そして向こうから何かが来ます。「いき(息)」は、自分の、ではなく、他者の呼吸を表現しています。「い」で自分から他者へ何かが入り(自分から他者へ何かが行き)、「き」で相手たる他者から出た何かが自分に届きます。その場合、相手たる他者の原形はたぶん生まれたばかりの赤ん坊でしょう。この「いき(息)」は動詞「いき(生き)」の連用形終止表現とほとんど意味が変わりません。「いき(生き)」という動詞はこの「いき(息)」が動詞化したものと思われます。「あず(崖(がけ)の崩れ)のうへに駒をつなぎて危(あや)ほかど人妻児ろをいき(伊吉)にわがする」(万3539・東歌:「あやほかど」は「あやふ(危ふ)を彼(か)はと」で、その後の表現が思念化的に確認された・した条件下におかれていることを表現しています。「危ういが」の意(→「しか(助動)」の項の「しかど」参照)。「児ろ」の「ろ」はそれが大切なもの(人)であることを表現します→「ろ」の項)。この万3539の「いき」は「息」なのか「生き」なのかもはやよくわかりません。「生き」という意味の「息(いき)」なのでしょう。あなたがいるから生きていられる、という歌です。「君が行く海辺の宿に霧立たば吾(あ)が立ち嘆くいき(伊伎)と知りませ」(万3580)。
◎動詞「いき(生き)」の語源
「いき(息)」の動詞化。意味は、息(いき)、生命体たる人のその永い息(いき)体験に裏づけられた生命活動、があること。この動詞は四段活用ですが、やがて上二段活用になり、さらに上一段活用になります。つまり、古代では否定は「いかず(生かず)」ですが、後世では「いきず(生きず)」になります。多分「ゐ(居)」が、常に連用形のまま(I音のまま)、加わり生存進行が存在進行として強意表現されるのでしょう。