「い」の直線的進行感が表現されます。それにより動態の進行感が表現されます。「い行き」(行き、さらに行き)、「い及(し)き」(追い及び:「百聞は一見に及(し)ず」の「しき (及き)」)、「い渡る」(渡っていく。「わたり(渡り)」に動的進行感が生じます)、「い隠る」その他の動詞の語頭にある「い」です。

「天(あま)離(さか)る鄙(ひな)つ女(め)のい渡らす迫門(せと)…」(『日本書紀』歌謡3:この歌は「い」がついていることにより夢中になって渡っている表現になります)。

「嬢子(をとめ)のい隠(かく)る岡を…」(『古事記』歌謡99:「嬢子(をとめ)が急いで逃げ隠れました)。

『万葉集』歌番号1528の四句「伊往還爾」は、いかよふほどに(い通うほどに)、と読まれてもいますが、これは「いいきかへるに(い行き帰るに)」でしょう(そのように読んでいる人もいます)。あの人(織姫)に会えるという思いで天の川を渡る。そして帰らねばならず、裳の裾が星々で、そして涙で、濡れる。五句は「裳襴所沾」。「裳襴(シャウラン)」は中国風の長衣全体を表しますが、「裳(シャウ)」は下に重点があり、意解して「もすそ(裳裾)」。「沾(テン)」は、うるほふ(潤ふ)、ぬれる(濡れる)、の意。五句全体は「ものすそぬれぬ(裳の裾濡れぬ)」。